恋のおまじないは賞味期限つき
放課後の教室で二人きり。他には誰もいない。
「また初恋ショコラ?」
わたしの好きな人が迷惑そうに言った。
わたしは言葉に詰まり、今に至るまでを思い返した。
初恋ショコラを好きな人と一緒に食べると両思いになれる。
そんなおまじないの噂がうちの高校で流れている。
ただいま絶賛販売中のコンビニスイーツ・初恋ショコラはその名の通りのショコラケーキ。
「ケーキといったらショートケーキ」の子も、「ツウはチーズケーキに決まってる」の子も、「モンブランは残り物じゃない!」と主張する子も、血まなこになって初恋ショコラを探している。
電車とバスを乗り継いで市内の全てのコンビニを探し回った猛者がいた。生徒のあいだで闇取引が発生して、店頭価格二百円が二千円に跳ね上がった。
「バカじゃないの?」なんて呆れないでほしい。
コンビニスイーツで好きな人と両思いになれるとしたら、なにがなんでも欲しい。交通費やプレミア価格でお小遣いを使い果たしたっていい。
といいつつ、わたしは何の苦労もせずに手に入れていた。噂が流れ始めたのは一週間前、その直前に立ち寄ったコンビニで買った。美味しそうだったから。もったいなくて買った当日は食べずにいて、翌日に噂を聞いて食べるわけにはいかなくなった。今日になるのを待っていた。
わたしは今日、勝負をかけようと思う。
ガリクソンと一緒に初恋ショコラを食べる。絶対。
一緒に食べるって改めて考えてみるとハードルが高い。一方的に見ているだけで、ろくに話したこともない人(話したことがなくても片想いはできる)に突然「初恋ショコラを一緒に食べませんか?」なんてきけますか。
その点、ガリクソンは高校二年のクラス替えから、食欲の秋の今になるまで半年弱の付き合い。話しかけることそのものは何とかなる。ていうかむしろ気楽に話しすぎて完全なる「いいダチ」になってしまい、そこから抜け出せずにジタバタしているのが今のわたし。
例えばドラマの話で盛り上がったとする。近々映画化するという。
「じゃあ見に行こうか」
とわたしが言う。
「おう」
とヤツが答える。
日曜日に二人で見に行く。映画が終わったらファストフード店に入ったりする(喫茶店は値段が高くて無理)。
「面白かった」
「超面白かった」
「パンフ買った」
「小遣いピンチで買えなかった。見せて」
「まだ見てない」
「いいじゃん、少しだけだから」
「ちょっと! 無理矢理取らないでよ」
飲み物をこぼす。パンフットが水浸し。ケンカ。
これでもう口もきかなくなるかと思いきや、翌日の月曜日には普通に挨拶をしていたりする。
これが果たしてデートといえるのか、たぶん言えない。だって手も繋がない。
他人の恋バナを引き合いに出して意識させようと思っても
「二組の佐々木さんと山本くんが付き合いだしたんだって」
「へー」
これで終わる。
こんな調子で今さら好きなんて言える?
言っても軽く流されそうな気がして仕方がない。最悪、気まずくなって口もきけなくなったらもう学校に行けない。大げさじゃなくて本気で。
だから初恋ショコラにすがるしかない。ガリクソンを騙してでも食わせて両思いになってやる。
そしてガリクソンじゃなくて修一って呼びたい。修ちゃんでも可。
ガリクソンはあだ名で本当の名前は田村修一。生粋の日本人。髪の毛も瞳も真っ黒。肌は白いけど欧米人のような赤みがかった白ではない。身長も日本の男子高校生平均とほぼ同じ。
そんな日本人の田村修一がガリクソンと呼ばれる原因を作ったのはわたしだったりする。
うちの高校の体操着は生徒の自由に任されている。一応指定の服はあって、半袖短パンはそれを着ている生徒が大多数だけど、防寒用の長袖長ズボンは各自バラバラ色とりどり。中学時代のジャージが着られる人はそれを着たり、着古したトレーナーだったり。
あれは二年生に進級して最初の体育の時間のことだった。男女合同授業でクラス全員が校庭に集まった。まだ肌寒くてほとんどの生徒が長袖長ズボンだった。もちろんわたしも。春休みの間に大きめのジャージを買っていた。
クラス替えから日が浅く、まだお互いの名前と顔も一致していない頃。みんなが周囲を見回して自分と気が合いそうな人を探している。わたしも視線を泳がせていた。既にグループ化している人たちを避けて、一人の子や二、三人で固まっている子を探す。
そうしていると、紺のトレーナーの上着の裾をズボンにインしている男子生徒に目が止まった。一目見て
この野郎
と思った。その男子生徒は腰回りがスッキリと細かったのだ。厚い布地のトレーナーをズボンに入れたら、もたついてお腹どーんって見えるはずなのに。わたしは上着をインしていなくても、お腹回りに存在感があるので、大きめのジャージの裾を外に出してことさら隠しているのに。
そもそも、男子生徒は腰回りでわたしはお腹回りと言っている時点で完敗だ。
いいなあ、羨ましいなあ、その腰回り。贅肉なんて全然ついてないんだろうなあ。
ジトジトと恨めしげに見ていたら男子生徒と目が合った。
顔は透き通るような白さで黒い瞳をひきたてていた。湯上がり卵肌ってこういうのかもしれない。
わたしは色が黒くて、よく見ると頬にソバカスがある。男子生徒の外見はわたしの劣等感を刺激した。
目を反らせばいいのに目を反らせない。わたしは自分が恥ずかしくなってきた。恥ずかしすぎて逆ギレした。
「ガリガリガリクソン」
気づいたら脳裏に浮かんだ言葉をそのまま言ってしまっていた。昨日エンパレ見るんじゃなかった。
「呼んだ?」
呼んでない。呼んだつもりはなかった。それなのに男子生徒はわたしに駆け寄ってきた。
「ぷくちゃん」
あきらかにわたしを呼んでいた。わたしの名前は福田咲子。
ガリクソンは、わたしの逆ギレ発言をあだ名として受け入れて、わたしに勝手にあだ名をつけたのだ。
話を整理すると、わたしはガリ……田村修一が好きなのに、好きだと言えていない。ノリノリの友だち関係を終わりにしたい。修一と呼びたい。修ちゃんでも可。わたしを咲子もしくは咲ちゃんと呼んでほしい。
そのために初恋ショコラを一緒に食べられるようにしむける。
だから今日まで待った。今日は初恋ショコラの賞味期限。わたしの言い訳はこうだ。
「これ超人気で美味しいんだって。でも賞味期限だから今日中に食べないといけないんだ。一緒に食べる?」
完璧だ。惚れ惚れする。もちろん噂なんか知らないフリも忘れずに。
いつ声をかけようか。
学校の教室でガリクソンの様子をチラチラ窺うのだけど、休み時間ごとに席を立ってどっかにいってしまい、なかなか隙がない。
同じクラスなのだから焦らず気長に待てばいいと思っていたら放課後になってしまった。
このまま見逃してたまるか。明日になって「賞味期限切れちゃったけど食べる?」なんて格好悪すぎる。
「今日の授業でわからないところがあるから教えて」
ベタな理由で引き留めて、教室から誰もいなくなるまで教科書を広げて、ああでもない、こうでもないと時間をつぶした。教室から一人二人と生徒が姿を消し、やっと二人きりになれた。
わたしは通学カバンの中からコンビニのレジ袋に入れた初恋ショコラを取り出した。
それを見たガリクソンの表情が固まった。
そしてわたしは冒頭の台詞を聞いた。
「また初恋ショコラ?」
不機嫌そうな声に聞こえた。わたしが言葉に詰まって何も答えられずにいると、重ねてたずねてきた。
「それ初恋ショコラだろ」
「そう」
「それでもう六個目なんだけど」
ガリクソンは乱暴に通学カバンを机の上にのせて中を見せてくれた。確かに五個あった。わたしのも合わせたら全部で六個。
「休み時間のたんびに呼び出されて、寄ってたかって食わせようとして。そんなに俺を太らせたいのかよ」
「それはないって。だってカロリーオフだもの」
カロリーオフは初恋ショコラの売りの一つでもある。
「そんなこといったって、二個も三個も食ったら意味ないだろうが。何なんだよ全く。ガリ撲滅キャンペーンでもやってんのか」
「それ本気で言ってる? おまじないの噂を知らないの?」
「おまじない? なんのことだよ」
「初恋ショコラを一緒に食べると両思いになれるって」
「くっだらねー」
「くだらないって、あんたねえ……!」
女の子たちがどれくらい必死で探し回ったと思ってるの!?
言い返そうと大きく息を吸い込んだとき、大きな音が鳴った。ガリクソンがイスごと引っ繰り返った音だった。
ぶっ倒れて仰向けになっている顔を覗き込む。
覗き込むわたしを、うつろな目をしたガリクソンが見つめ返した。
「ぷくちゃん……それ……どういうつもりで……」
「あ!!」
ライバル(なんでか知らんがガリクソンはモテているようだ)の肩を持つようなことを口走ったが、それはそのままわたし自身の行動理由を説明してしまっていた。
「いや、わたしはね、もうちょっと肉ついた方がいいんじゃないかなあと思ってね?」
わたしは何を言ってんだ。咄嗟に出た台詞は自分でも呆れるくらいどうしようもなかった。
「あー、そう。わかった」
間違いなく彼も呆れていたはずで、立ち上がってイスを直して教室を出て行ってしまった。
わたしは引き留められずに、ただ見送った。
しばらく呆然としてから、わたしは一人だけの教室で声を上げずに泣いた。
拭いても拭いても涙がこぼれて止まらなかった。
わたしはバカだなあ。用意した言い訳も言えなくて。
ちゃんと言えばよかったのに。
好きだよって、たった一言いえばよかったのに。
ううん。言えたら苦労しない。言えないから初恋ショコラに頼ったんだもん。
でも結局ダメだった。
なによ、こんなもの!
初恋ショコラを掴んだ。席を立ち教室のすみに行く。意気地なしを棚に上げて腕を振り上げて初恋ショコラをゴミ箱に叩き込もうとした。
「ちょっと待ったあ!」
後ろから二の腕をつかまれた。驚いて振り返った。
「帰ったんじゃなかったの?」
「便所に行ってたの。カバンを置いて帰らないよ」
こんなときにトイレですか。それなりに緊迫した場面だったはずなのに。
ガリクソンはわたしの手から初恋ショコラを取り上げた。スタスタとさっきまで座っていた席に戻る。
「はい、ぷくちゃんも集合」
仰せのままに。わたしも席に座った。
「これから俺はこの初恋ショコラを食べるので、ぷくちゃんはこっちの五個を食べること」
カバンから初恋ショコラを五個取り出して私の机の上で横一列に並べた。
「え……。なんで?」
「ぷくちゃんがくれた初恋ショコラを俺が食えば両思いなんだろ?」
「そうだけど」
「やっぱり『そういうつもり』だったんじゃん」
わたしは首を傾げ次の瞬間、誘導尋問に引っかけられたのだと気づいた。
ずるいずるいと騒ぎ立てるわたしを見てガリクソンは不敵に笑う。
「そういうつもりじゃないと答えても問題ないけどね。ぷくちゃんが何とも思ってなくても、俺がぷくちゃんを好きだから、おまじないの条件は成立する」
「はあ……って、え!?」
「知らなかった?」
なにが!? なにを!?
混乱してきた。都合の良い思い込みじゃなくて、ガリクソンもわたしが好きということでいいのでしょうか。
「そういうわけで、この五個はぷくちゃんが食べること」
「だから、どうしてわたしが五個も食べなきゃいけないの」
「他の子とおまじないが叶ったら困るんじゃないの?」
そんなこと言われたら食べるしかないじゃないか。
策士策におぼれる? 墓穴を掘ったような気分になった。
「五個も食べたら太っちゃう」
「大丈夫。ぷくちゃんがぶくぶくちゃんになっても好きだから」
もうお手上げ。わたしは腹を括って初恋ショコラに手を伸ばした。
初恋ショコラは本格派のガトーショコラ。濃厚でしっとりとした生地。生チョコとケーキのいいとこどりといった味わいで、ほろ苦くて甘くてとろけそう。
しっかり美味しくいただけたのは二個目まで。
申し訳ない。本当にすみません。三個目からは味もわからなくなり、ただ口の中に詰め込むだけだった。
なんでわたしがこんな目に遭わなければならないの。
他の子のおまじないを阻止するため?
でも彼はわたしを好きだと言ったよね?
それでもわたしは初恋ショコラを食べ続けなければならないの?
なんだかいろいろ腑に落ちないけど、惚れた弱みだ仕方あるまい。
やっと全部食べ終えた。しばらくチョコレートは見たくない。
「さて、ここで質問です」
一個しか食べなかった彼は実に爽やかな笑顔だ。
「ケーキとぼくのキス、どっちがすき?」
「キス!!」
消去法だよバカヤロウ。
唇が触れそうなくらい近づいたとき、わたしは我慢の限界だった。
「……ゲフッ」
彼は笑いながら、隠し持っていたお茶のペットボトルをちらつかせた。
さっきはトイレではなく自販機でお茶を買ってきたらしい。
わたしは引ったくるように受け取りドサクサ紛れに願いを叶えた。
「早く出してよ、修ちゃんのバカ!」