安達ヶ原
部分的にストレートな残酷描写あり。
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ああ、尽きぬ苦しむが私を苛む。尽きぬかなしみが私を覆う。
このみちのくにたどり着き、草のぼうぼうとしげる暗い岩屋に住みはじめた、あの時。この婆は、“鬼”と化したのでございますから。
私は、岩屋に糸を紡ぎつつ、一夜の宿をと訪ねてくる旅の者を待ちかまえ、その者の寝込みを狙っては、無惨に食い殺しておりました。
一体、どれほどの同じ罪業を繰り返してきたことでしょう。人の生肉の固く、よく噛み砕いたこと。人の生き血の生温く、のどを真っ赤にうるおすこと。
私が血をすすり、肉を食らう度に、旅人たちの白骨は累々と積み重なってゆくのです。
今では鬼婆などと呼ばれておりますが、これでも昔は、髪はしっとりと黒く、肌も白くなめらかであったのでございますよ。
何、私の過去に、興味がおありのようで。物好きなお方でございますね。
ようございましょう。もはや、あなた様に吸われた命のともしびは、残りわずかにございます。死にいく前に、在りし日を振り返ってみるのもよいかもしれませぬ。
あれは、いつの時代のことだったか。もう、気の遠くなるほど昔のことでございます。あの時は、私も若く、美しゅうございました。
とある高貴な方のお屋敷の乳母として奉公していた私には、手塩にかけて育てた、それはそれはかわいらしい姫君がおりました。その姫君の愛くるしいことこの上ありませんでしたが、その姫君は生まれつきの不治の病におかされており、五つを数える御年におなりになっても、一言も口を利かれることはございませんでした。
私はどうにかこの憎き病を治療する方法はないかと、都中をさ迷っていたところ、ある易者の男に出会ったのです。その易者の申すことによれば、姫君の病を治すには、母親の胎内にいるややの生き肝が必要だとか。今となっては、この易者の喉笛に食らいつき、噛みちぎってやりたいものでございます。
もちろん、母親の肚に宿るややから生き肝を抜き取るなど、とんでもないことでございます。しかし、私は、それでも愛しい姫君のためにと思い、お屋敷の主人に暇を乞うて、幼い娘を家に置き、出刃包丁を隠し持ちながら、妊婦のいる場所を訪ね歩くようになりました。
しかれども、やはり心の内には人としての人情が根深く根ざしており、なかなか事に及ぶことができなかったのでございます。
私はその調子で、決断する機も得られぬままに、土地という土地を渡り、ついに、このわびしい荒れ原に流れ着いたのでございます。
その時に、ちょうど手頃な岩屋を見つけたものでありますから、そこに住み着き、たまに荒れ原を訪ねてくる人があれば、そのたびにこころよく泊めてやりました。人の心とは、非常にもろいもので、岩屋に一人寂しく糸を紡ぐ私にとって、これほど喜ばしいことはございませんでした。
しかし、あのような忌まわしきことが起ころうとは、運命とは残酷なものにございます。
ある日、私の住む岩屋に、ある一組の夫婦が一夜の宿をと訪ねて参りました。
私は、それはそれは目を大きく見開いて驚きました。その夫が抱えるようにする若い妻は、いかにも身重で、肚をまるまると膨らましていたからでございます。私はそれを見たとたんに、まっ先に、あの易者の男の言葉を思い出したのでございます。
私はその旅の方々をこころよく迎え入れてやりましたが、その妊婦の娘が気になって気になって仕方がございません。何せ、あの肚の中には、愛しい姫君の病を消し去るための、ややの生き肝が入ってあるのでございますから。
しかし、それでも、私の決断は鈍いものでございます。私の人としての人情が、決断を許さなかったのも確かなことでございますが、何より、あの時は、夫がずっとそばに寄り添っていたのでございます。
しかしその時、急に、妻が産気づいたのでございます。妻の様子はいかにも苦しげで、慌てた夫は、産婆は近くにいないかと、不用心にも岩屋を飛び出してしまったのでございます。かような荒れ原に、人などいようはずがあるまいに。愚かなことでございます。
私は、若い妻と二人で岩屋に取り残された時に、これはまたとない機会だと思ったのでございます。その時の私にとって、姫君への想いは、何にもまさる強いものでございました。その想いの強さと、またとない機とが、私をかろうじて人として繋いでいた人情を、無下に断ち切ったのでございます。
私は、ためらいなく隠し持っていた出刃包丁に手を伸ばし、それを苦しげに寝込む妊婦に向かって思いきり振り上げ、そして、まるく膨れたその肚を切り裂いたのでございます。娘は悲鳴ともつかぬ悲鳴を上げました。
私は、裂いた母親の肚からあらわになった血まみれのややを取り出し、その子の肚を切り裂き、ついに肝を取り出しました。これで、愛しい姫君の病を治すことができる。やっと、都に戻ることができる。あの時のえも言われぬ喜びといったら、並大抵のものではございません。
しかし、この時、肚を裂かれたはずの妻はまだ死んではおりませんでした。妻の力のない、かすれた声が、喜びに浮かれる私の耳元にまで、何とか届いたのでございます。
私は、この妻のしぶとさにぎょっとしたものです。自らつくった血の池に沈んでおきながら、まだなお生に取りすがるのかと。私は、深手を負ってもなお生き続けようとするその妻に恐怖を覚え、最後にとどめをさしてやろうと、包丁をしっかと握りしめ近づきました。
その時です。その時でございました。若い妻は、その震える薄い唇から、か細く、それでもなるだけ力強く、しぼり出すように、途切れ途切れの掠れた、小さな声で、しかし、しかし、確かにこう申したのでございます。
「……わたくしは、長年行方のしれぬ、母を求めて、各地を旅して参りました。けれども、それも、叶わなくなってしまった。……お、お願いします……、あのお守りを、母に……お優しい、母に………………」
私がはっとした時には、妻はすでに事切れておりました。
不吉な予感が、私の頭を通りすぎました。そんなはずはないと、予感を振り払いながらも、私は居てもたってもいられなくなり、目にとまった妻の持ち物に、すがるように飛びつき、我を忘れるほどに、その中身をあさりつづけました。
そして、私は、妻が死ぬ間際に申していたそのお守り袋を、見つけたのでございます。私はこの時に、はっきりと知らしめられることとなりました。これはまさしく、その昔、私が都に置いていった、幼い娘にあげた品でございます。
私のあずかり知らぬところで、時はすでに幾年も過ぎ、あの幼かった娘はすでに夫を迎え、立派な大人の女性へと成長していたのでございます。
私は、身重な身に鞭打ってまで、私を捜し求めていた娘を殺めたばかりか、その孫となる子までを殺めてしまったのでございます。私は何と、罪深き所業をしたことでございましょう。
私は娘に取りすがり、いつまでも、いつまでも、泣いておりました。
この頃から、私は永遠に消し去ることのできぬ、深い深い罪業を背負うようになったのでございます。この深き罪の意識は私を狂わせ、新たな罪へと私を引きずり、もはや、どうしようもなくなってしもうたのでございます。
いつしか髪は色あせ、顔は醜く歪み、私は人を食らう鬼となってしもうたのでございます。
ご閲覧いただきまして、まことにありがとうございます。
初投稿、というわけでもないのですが、公開作品としては初めての作品です。
目の肥えた方にとっては、満足のいく仕上がりではないと思います。しかし、これでも一応調べはしたんですよね……
図書館に通えば、作品の質も格段に上がると思います(笑)。それはさておき、機会があれば、加筆修正してまた投稿しなおしたいと思います。
それでは。