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【序章 闇の水面】

 冥界を思わせる、暗く静かな夜の海。

 月の光さえ届かぬその中を、スクリューで悠然と進む巨大な鋼鉄の塊が居た。

 アメリカ海軍所属、バージニア級原子力潜水艦ミシシッピ。

 二十五ノット、時速四十六㎞以上の速度で海中を突き進み、魚雷で船艦を沈め、垂直発射式ミサイルで地上を焼き払う、万能にして最強の軍艦である。

 その潜水艦ミシシッピは極秘の哨戒任務を終え、母国アメリカに向けて帰投する所だった。

 同盟国である日本の近海、敵など居ようはずもない海。

 油断とまではいかずとも、余裕と言える程度には心が緩んでいたその時、ソナー手が無視出来ぬ音を聞き取った。

 潜水艦よりは小さく、だが魚雷よりは何十倍も大きい。

 そして、独特の鳴き声を上げ、こちらへ向かってくるそれは――

「クジラです、二時方向からシロナガスクジラがこちらに向かってきます」

 ソナー手の報告が響き渡り、丁度発令所に来ていた艦長は嫌そうに眉を曲げた。

「ぶつかりそうか?」

「いえ、このままのコースならすれ違うだけかと」

「そうか、ならばいい」

 艦長は報告を聞き、内心で安堵する。

 全長百mを超える鉄の塊である潜水艦が、大きくとも全長三十m程度のシロナガスクジラと衝突した所で、深刻なダメージを負う事はない。

 だが、事が世に漏れれば、うるさく騒ぐ奴らが出てきてしまう。

「人間よりもクジラの命が大切な、イカれた環境保護団体に噛み付かれると面倒だからな。念のため速度を落としておけ」

「了解です」

 艦長の命令を受け、操舵手は僅かに航行速度を緩める。

 そうして、ほんの僅かな緊張が流れるなか、斜め前から泳いできたクジラは、まるでこちらに気付いていなかったかのように、何事もなく潜水艦の前を通り過ぎて行った。

「やれやれ、最大の敵がクジラとは、今回は退屈な任務だったな」

「あははっ、全くですね」

 艦長は冗談混じりに呟き、発令所の中に笑い声が響く。

 哨戒だけで戦闘がなかったとはいえ、実際には笑い捨てられるほど軽い任務ではなかったのだが。

 なにせ、この艦に詰まれているミサイルには――

「んっ、何か異音が……」

 ふと小さな音を聞き取り、ソナー手は笑いを引っ込め耳を澄ませる。

 すると、カンッ、カンッと金属を叩くような音が、船体付近から響いていた。

「漂流物の衝突にしては、規則的すぎる気がしますが……」

「どこかが故障したのかもしれん。機関長に連絡して――」

 何の音か不明だが、ともかく対策を取ろうとしたその時だった。

 ズドンッ!

「何事だっ!?」

 突然、鋭い衝撃が船体を揺らし、発令所の空気が一瞬で緊迫する。

「船尾方向から爆発音です!」

「爆発っ!? 敵艦の姿は!」

「ありません。機雷による攻撃でも、魚雷による攻撃でもありません!」

 思わず敵艦と叫んでしまった艦長だが、ソナー手の報告を聞くまでもなく、それが有り得ない事と知る。

 このミシシッピはバージニア級原子力潜水艦の中でも最新鋭。

 当然、組み込まれた索敵装置も世界最新鋭の物。

 それに全く気付かれる事なく接近し、攻撃を仕掛けられる敵艦などあるはずもない。

 そもそも、日本の近海でアメリカの潜水艦に奇襲をかけるなど、両国に宣戦布告をするのと同義。

 どこにそんな真似をする馬鹿が居るというのか。

「まさか、日本軍がっ!?」

 ありえないと知りつつも、真珠湾攻撃の話が思い出され、艦長が叫んだその瞬間、再び衝撃が船体を揺らす。

「艦のダメージは!」

「まだ浸水はしていないようですが、このまま何度も続けば――」

 不安で僅かに震えた報告の声は、三度目の衝撃音で掻き消された。

 原因不明の連続した爆発。誰の心も恐怖と混乱で掻き乱されるなか、艦長は冷静に決断を下す。

「やむおえん、メインタンクブロー、浮上しろ!」

 何が起きているのかは依然分からぬが、最悪の事態――浸水による沈没を避けるためには、海上に出るより他はない。

 戦時中でもないのに緊急浮上など、潜水艦乗りにとっては恥でしかないが、乗員の命には替えられない。

 賢明な艦長の指示に従い、潜水艦ミシシッピはバラストタンクの海水を排出し、海面へと浮上していった。

 その間も爆発による振動は続き、艦長を含む乗員の全員が、暗黒の海に呑み込まれる死の恐怖に堪え、歯を噛み締めていた。

 だから、誰もがその疑問に気付かなかった。

 これが何者かによる攻撃なら、どうして何度も爆発を受けながら、艦にダメージが出ていないのかと。

 まるで、無傷のまま艦を浮上させるために、手加減した攻撃を加えられているようではないかと。

「浮上完了!」

「機関科に伝達、艦外に出てダメージのチェックだ、急げ!」

 寝ていた者達もとっくに全員目を覚まし、慌ただしくなった船内を、修理道具を担いだ機関士達が走り抜ける。

 潜水艦の中央に設置されたハシゴを上り、、非常用のハッチから顔を覗かせた機関士は、フラッシュライトの光を船尾に向け、闇の中から浮かび上がった艦の装甲を見て首を傾げた。

「何だあれは?」

 水の抵抗を抑える滑らかな涙滴型の潜水艦。その装甲に余計な円盤状の物体がくっついていたのだ。

「小型の機雷か? でも何時の間に……」

 あれが爆発の元に違いない。だが、常に水中を走っていた潜水艦に、誰がどうやってあんな物を付けたというのか。

 深い謎に包まれたまま、もっと近くで見ようと身を乗り出した機関士の首に、鋭い手刀が振り落とされる。

「がはっ……!」

 白目を向き気絶した彼の背後に、いつの間にか黒いウェットスーツ姿の男が立っていた。

 男は機関士の体を艦内に落とすと、続けて腰のケースに収めていた手榴弾も放り込んだ。

「何があ、うわっ!?」

 仲間と共に落ちてきた手榴弾から、怪しい煙が勢いよく吐き出され、下で待っていた乗組員達は毒ガスかと思い、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。

 実際には無害な目くらましに過ぎず、僅かな時間を稼ぎたかった男にとっては、それで十分なのだった。

 男はハッチに背を向けると、潜水艦の上に突き出た部分=セイルの根本に特殊な装置で吸着させていた、棺桶の如き黒い箱に手を掛ける。

「起きろ、クジラのクルージングは終了だ」

 何重にもロックされていた耐水耐圧ケース。

 その中に収められていたのは、月光にも勝る輝きを放つ青年だった。

 金細工の如き、細く煌めく黄金の髪。

 雪のように白く脆く、触れれば壊れそうな肌。

 目端も手足も、全てが天才芸術家の手によって作られたかのような、美を超越した化身。

 それは狭苦しいケースの中からゆっくりと立ち上がると、その美貌にまるで似合わぬ欠伸を漏らした。

「ふぁ~、ゲロで溺れ死ぬかと思ったぜ。やっぱり海の乗り物は最悪だな」

「思った以上に余裕だな。あんたらにとって海はもっと天敵かと思っていたが」

 やはりその美貌と合わぬ、下品な喋り方をする黄金の青年に、黒いウェットスーツの男は呆れたように告げる。

 すると、黄金の青年は美しくも下品な笑い声を上げた。

「けひひっ、百歳程度の青二才ならともかく、俺様くらいになると流れる水なんて屁でもねえのよ」

「そうか、実に頼りがいのある話だ」

「といっても、海が大嫌いな事には変わりないがな」

「ほう、何故だ?」

 興味が湧いて男が尋ねると、黄金の青年は誇らしげに胸を張って答えた。

「何と、無敵の俺様はカナヅチなのでした!」

「ははっ、唯一の弱点が泳げない事とは、これは傑作だ」

 何とも下らない話に、男も肩を揺らして笑う。

 そう、本当に笑える冗談なのだ。

 敵しか居ない潜水艦の上に立ちながら、泳げぬ事以外に何も恐れるモノがないという言葉が、全くの事実であるために。

「さて、お遊びはこのくらいにして、仕事に取りかかって貰おうか」

「けひひっ、俺様にとっちゃ全部楽しい楽しいお遊びだけどな」

 真面目な顔に戻った男に促され、黄金の青年はふざけた笑いを浮かべながら、ハッチの前に立つ。

 そして、艦内へと無造作に飛び込んだ。

 音もなく着地したその体に、無数の銃口が突き付けられる。

「止まれ! 大人しく両手を上げて膝を付け!」

 スモークが晴れた艦内に待っていたのは、短機関銃で武装した乗組員達。

 まだ事態に困惑しながらも、敵への対応を素早く整えた彼らに、黄金の青年は臆す事なく笑いかけた。

「ハロー、坊や達、クジラに乗って王子様が遊びに来たぜ」

 そのふざけた態度に、乗組員達は会話を交わす意味はないと悟り、躊躇なく引き金を引いた。

 何十発もの鉛玉が青年の細い体を貫き、艦内の壁に当たって火花を散らす。

 そうして、乗組員達が一斉に引き金から指を離した後も、青年の体は崩れ落ちる事なく立ち続けていた。

「けひひっ、乱暴な子供達だなぁ」

 愉快そうに笑う青年の体に空いた無数の穴、血の一滴すら零れていないそれが、見る間に埋まっていく。

 常識も物理法則も無視した、悪夢の如き存在。

 それを現す単語を、乗組員達は一つしか知らなかった。

「化け物めっ!」

 恐慌をきたした彼らは再び引き金を引き、弾倉が空になるまで鉛玉を撃ち続けた。

 だが全て無意味。黄金の青年は穴だらけの体を一瞬で修復し、乗組員達に向けて歩み寄る。

「ケチらず銀の弾丸くらい用意しとかないとダメだぜ」

 長い犬歯を見せつけて笑い、青年が赤い瞳に力を入れた瞬間、乗組員達の体が凍り付く。

「あ、ああぁ……っ!」

 動きたいのに、逃げ出したいのに、声すら満足に動かせなくなった彼らに、黄金の青年はあくまで優しく、そして邪悪に笑い続ける。

「さあ坊や達、俺様と一緒に派手なダンスを踊ろうぜ」

「……イエス、マイ・マスター」

 魔性の瞳に魅了され、もはや自分の意志すら失った乗組員を連れ、黄金の青年――(ナイ)(ト・)(ウォ)()()()(ヴァ)(ンパ)(イア)は、発令所に向かって悠然と歩いて行った。

 こうして、バージニア級原子力潜水艦ミシシッピは、たった一人の妖怪によって占拠された。



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