1BOX ONE
ライターの火が、まだ日の昇って間もない時間の薄暗い部屋を照らし出す。
煙草を近づけ、火をつける。
ライターをポケットにしまった後、煙を肺いっぱいにためる。
十分に味わい、その紫煙を吐き出す。
どこか乾いたものを感じながらも、自然と落ち着く。
特にやることがないので、暇つぶしに、新聞配達のおっさんが朝がんばって運んできてくれたであろう朝刊を広げる。
いくつかめくっていくと、気になる記事が目に入った。酒、煙草の増税。酒はてんでダメなんで関係ないが、煙草は困る。すいすぎと常日頃から言われている俺としては、死活問題だ。最近では喫煙できる場所も制限されまくってやがるし、愛煙家としては窮屈な世界になったと思う。
急に気になって、煙草の箱の中を見る、もう十本しか入っていない。どうやら次の収入まではこれだけで過ごさなきゃならないらしい。
イラついてきて新しいのを吸おうとするが、そのイラつきが煙草が残り少ないことが原因ということを思い出し、踏みとどまる。
もう一つ、気になる記事を見つけた。最近ここら一帯で起きてる、連続猟奇殺人事件の記事だ。どうやら新しい被害者が出たようだ。法術に使用される遺留品が見つかったことから、犯人は法術士の可能性が高いと見て以前捜査中らしい。
法術ってのは、まあ、おとぎ話に出てくる魔法ってやつだな、そう考えてくれてぜんぜん問題ない。すごいもんなんで、犯罪にやらなんやらにいろいろ使われるってわけだ。最近は凶悪犯罪の大半が法術犯罪だしな。俺も法術士なんだが、別に悪いことはしていない。
新聞も読み終わりぼうっと煙草を吸おうか吸うまいか考えていると、バイクが我が家の前で止まるのを聞いたので、窓の外から下の様子を見る。申し訳程度につけられた『空煙法術士事務所』の看板越しに、女性の姿。客じゃあない、どうやら相棒のようだ。
我が家、といったが、正確には事務所兼俺の部屋、だ。三階が俺の部屋で、二階が、俺と相棒が経営している法術士事務所、一階は何もないし、俺が借りた部屋でもない。仕事内容といえば、猫の捜索から浮気の調査まで、何でもござれの探偵事務所に、ちょっと法術士関連の仕事がついたくらいだ。
意外と経営状態は良好なのだが、なぜか俺の煙草は少ない。
階段の駆け上がる音のしばらく後、ノックもなしに部屋のドアが開けられた。
「おっはよー叢紫! 珍しいじゃん! 朝から起きてるなんてさ!!」
朝っぱらから元気のいいこの女が俺の相棒、剣龍司 真理。苗字が非常に強そうだが、実際こいつ自身も強い。まあ、外見としては、美人だろう、性格もそんな悪くない。いかんせん手が出るのが早すぎるから、俺はそういう面ではパス。
「ん?何じろじろ見てんのよ〜?」
「あ、ああ。そういえば新しい服だな、けっこう似合ってるぞ」
「え、そう……へへ」
顔を赤くして顔を俯ける。
何照れてやがるんだか、それにしても一度も見たことがない服だな。……
「……てちょっと待て!! また新しい服買いやがったのかよ! 俺は今吸う煙草も苦労してんだぞ!」
「だってあんた全部煙草に使っちゃうじゃん! しかもどんどん吸っちゃってすぐなくなるんだから、自業自得でしょ!?」
ぐ……確かに、言い訳を出来ない事実だ。自分でも、煙草への金の比率はまずいと思っている。
「んじゃ、お前の服はいくらだったんだよ?」
「え……一万ぐらい……」
言いよどみつつも、煙草を何ケース買えるか考えたくもないような額をいう。
「ありえねえ! マジありえねえ!? んだよそれ、絶対おかしいだろ! だってこの前も服買ってなかったか!?」
「あ、あれは五千だよぉ……」
後ろに身を引くようにやや体を丸めて、見上げるような視線でおずおずと答えてきた。なかなかかわいい動作だとは、思う、だが、言っていることが許せん!
「絶対俺とお前の報酬の差おかしいだろ!? 事務所の維持費以外は等分にするんじゃなかったのか!」
当初の約束を守ってはいない気がする、確かに、経理については任せっぱなしなので、俺のせいでもあるのだが。
「これは、大体貯めてたお金だし、それに、ほとんど等分にしてるもん」
今度は開き直ったような態度で言ってきやがった。
「ほとんどってなんだよほとんどって!?」
「あ〜もう、うるさい、殴るよ!?」
その声は衝撃に揺れた脳で意味を理解するのには時間が掛かった。
さらに一泊遅れて鈍い痛みが右ほほあたりに感じる。張ったような痛みではないことから、手の形はグーと判断できた。
「言う前に殴ってんじゃねえよ! だあ、もういいや! お前と話してるといくつ体があっても足りねえ! 俺はあんま金ねえんだ。よって、空煙法術士事務所としては仕事が欲しいわけだ。ということで、仕事はないのか?」
殴り始めるとその話題について真理は殴ることを容赦しなくなるため、これ以上口答えすると身に危険が生じると判断して、話題を変える。
「えっと〜、いまんとこ特にないんだけど、あ、そうだ、これ追ってみない? 生死問わずで賞金額も高いよ!」
指差したのはさっき読んでいた猟奇殺人の記事だ。どうやら犯人には賞金がついたらしい。
法術士事務所等を経営するときにも必要なのだが、国に申請して、国家試験に合格すれば、国が認可して、国家公認の法術士と言うものになれる。利点はあまりない、英語検定と同じくらいだが、履歴書に書いたって特に意味をなさない。
それを取得している場合、警察組織だけでは処理しきれない、度重なる法術犯罪に歯止めをかけるため、国が施行した制度により、特定の法術犯罪者の逮捕を自由に行えるようになる。もちろん、捕まえたときには国から報酬が支払われる。
やってることがまるで賞金稼ぎなので、そのまんま賞金稼ぎとかいわれたり、報酬のことを賞金といったりする。だが、これは少々厄介な仕事で、生死問わずの指定を受けていない犯罪者を殺してしまった場合、自分が殺人で逮捕されちまう。しかも大概そういうやつの報酬は安い。逆に、生死問わずの犯罪者は、よほど凶悪で、自分が簡単に殺されちまう可能性がある。しかも、どちらもそれになるハードルが高い、つまりは生死問わずにしろ問わないにしろ、みんな危ないやつらってわけだ。
「これか、なかなか面白そうだけど、危なくないか?」
「あんた一級法術士でかなり強いことになってるんだから、そんなの平気でしょ!」
俺は一級、ちなみに真理は準一級。俺のほうが強いらしいが、一対一では勝てる気がしない。
「俺がやらないっていったってどうせ無理やり引っ張ってくんだろ。いいよ、やってやる。まずはユーニに情報をもらいに行くぞ」
「よし。早速行こう!」
特に急ぐ必要もないので、ゆっくりと立ち上がった。
だが、それを彼女は許さないようで、首が絞まる勢いで襟首をつかまれる。
一瞬意識が飛びそうになった……
結局引っ張られながら、事務所を後にすることになった。
目的地であるコンビニに入ると、レジには単なるコンビニの制服だというのに、少々色気の出すぎている女性がいた。目的の人、ユーニである。
金さえ積めば、世界の闇の奥深くから、明日の天気まで教えてくれる、情報屋だ。
情報屋なんてものを使うのまで、賞金稼ぎっぽい。しかしこれは警察とは違って裏のルートで捜査できる点であるので、アドバンテージになる。
「ユーニ。買いに来た」
「わかったわ、ちょっと裏で待ってて」
煙草を吸いながら、いわれたとおりにコンビニの裏で待っているといちいち私服に着替えてきたユーニが来た。体のラインが際立つその服は、無駄といっていいほどまでに彼女の色気を濃縮していた。
「上がってきたわ。私、煙草苦手なの知ってるでしょ。消してくれて?」
機嫌を損ねると支障をきたす場合があるので、言われたとおり足で踏み消す。場合によってはこちらの命に関わる。
半分ぐらい吸い損ねちまった。
「ありがとう。で、欲しい情報って?」
「あのぉ、これについての知ってることを、教えて欲しいんですけど?」
俺の代わりに真理が話を持ち出す。
バックにはすごいのが控えてるのか、それともすごいののトップなのか知らないが、ユーニに喧嘩を売ったら、三日で自殺したくなるような悲惨な責め苦が待っているとのうわさが流れていて、事実、昔一度ユーニに突っかかっていた男が次の日からどこにも姿を現さなくなっていることから、真理でさえもおどおどしている。
おれも、思い出したくも無い苦い経験をしたことがある。正確には、俺の元相棒だが。
だが、彼女の情報は正確で、他人が知りえないようなことまでも知っている。
「あぁ、それなら四割ね」
しかし、問題がある、異常に情報料が高いのだ。ふざけて天気を聞いたやつが、1万ぼったくられたって話も聞いたことがある。
「それはないだろ? 何でそんな高いんだよ?」
「量が多いし、情報があれば簡単に犯人見つかるからよ」
「二割だ、それ以上は出したくねえ」
「いいわよ。別に。じゃあ、教えてあげるわ」
やけに簡単に折れやがった。明らかにおかしい。まあ、教えてくれるようなので聞くが。
「じゃあ、殺害方法から、まあ誰でも知っての通り、ばらばら死体なんだけど、頭が独特よ。舌が引き伸ばされて、抉られた眼球と一緒にあごの裏にくいで打ちつけられているの」
ご丁寧に写真まで見せてくれやがった。もはや人の顔と思えない、ぞっとしないもんが写ってた。
「で、ばらばらの死体は白線で描かれた模様の上にちりばめられてたわ。で、これが死体が見つかった場所の地図」
番号の振られた赤いシールが張られた地図を渡される。
「ほう、で、次は?」
「あら? もうないわよ?」
「それだけなのか? 意外と情報がないんだな」
「いいえ? ただ、ここまでがあなたたちとの契約の情報料分よ? もっと聞きたくて?」
さも当然のように、とぼけた感じに聞いてきた。
くそ、さっき簡単に折れやがったのはこういうことかよ。だが、これだけでもいける可能性はまだある。まずは、この手札だけで動いて、それでもわからなかったらもう一度ここに来ればいいと判断する。
「もういい。ありがとう。いちおう礼をいっとく」
「礼よりちゃんとお金払いなさいよ?」
「わかってる。行くぞ、真理」
地図で確認した後、真理の返事を待たずにとっとと歩き出す。
真理が、ぺこりとお辞儀をユーニにした後、追いつく。
歩きながら、次の煙草を左手で取り出してくわえる。
自分たちで調べるために、地図に記された現場に向かうことにした。
「やっぱり、こういうのの犯行現場は廃ビルよね〜」
なぜかは知らないがうれしそうにビルを見上げながら真理がつぶやく。
確かに、こういった類の犯行は廃ビルの一室で行われる可能性が高いが、ユーニに渡された地図を見ると、全てが廃ビルで起こっているようだ。といっても、今ではそこかしこに廃ビルが建っていて、なおかつ人目に触れにくいので、犯行に使っていただけなのだろうが。
ビルの手前、警察が敷いた立ち入り禁止区域を示す黄色いテープのところまで来る。
一番最初の殺人があった場所に来たのだが、どうやらまだ規制は外れていないようだ。
当然のように入っていく。普通は見つかったら補導物なのだが、二級以上の法術士免許の権限によって、中に入ることが出来る、実際はまずは警察に申請を行う、もしくは警察関係者の同行が必要なのだが、どうせ見つからない、見つかったとしても何とかなるから、入る。
奥のほうに行くと、もちろん電気は通っていなく、奥にいくにつれ日が届かなくなり、暗くなってくる。
煙草に火をつけるついでにライターで周りを照らす。
炎を、法術によって明るさを上げる。これは、略式法術や、無詠唱法術といわれ、特に準備することもなく、意識するだけで使用できる法術の一種だ。もちろん、効果はそれなりに低いが、私生活において使うのは問題ない。
「便利だよねえ、それ、私も出来るようになりたいな」
こいつは準一級といえど、特化型の体質変化型近接法術士だ。内面的な法術しか用いることが出来ない、いわゆる筋肉馬鹿。よってこんな簡単な法術もうまく使用できない。
ちなみに俺は媒体使用型遠距離法術士。媒体使用というのは護符などのものに自分の法力を集中させ、それを用いて法術を使う。
術化法陣形成型などと違って準備を前もって行なっているのですぐに放つことが出来るが、護符なら護符、カードならカードというように、特定のものしか媒体に出来ないのでそれがなくなったときはどうしようもなく使い物にならない。
といっても、俺は媒体使用型に分類されているが、特異な性質の法術を使うため、実際は法陣形成型に近い。
「いいじゃねえか、お前なんか目を強化すりゃ暗闇でもぜんぜん平気だろうが」
煙を吐き出しながら、どちらかといえばその方が性能がいいと思う体質変化法術士の長所を口にする。
「んん、そうだけどぉ〜。それじゃ自分だけしか意味ないじゃん」
「それでいいだろ、自分だけで」
「えぇ、だって〜……」
不満に顔を膨らませるのがライターの明かりに映る。
「お、たぶんここだろ、血が床に染み付いてやがる」
何か言いたがっていた様子だがそれを無視して部屋の中に入る。
そこは三階の部屋の一つで、血がところどころに染み付き、凄惨な様子を物語っていた。
床を照らすと、一角に白線で描かれた何かが見えた。
「おお、これか。……地図?」
かなり要約されたものだったが、それはどうやらここ周辺の地図のようだ。
手帳を取り出し、メモをする。
メモを終えると、次の煙草を口で挟んで引っ張り出しながら周りを見渡す。やはり捜査の後なのだから、何も残っていない。
とりあえず外周にそって歩いて距離を測る。どうやら正方形に近い。
メモをもう一度開き、現場全体の様子をメモする。
「よし、行くぞ」
「え? もう次!? だってまだ何にも探してないよ?」
「警察の後なんだからどうせなんか探したって見つかるわけないだろう。もしなんかあったとしても、だ、大人数でやっても見つかんなかったものを俺たちだけで探してたら日が暮れちまう。」
「うぅ、たしかに。じゃあ、次」
吸い終わった煙草をそこらへんに放り捨て、ほかの場所に向かうことにした。
結局、どこも似たような結果に終わり、今朝の朝刊に載っていた事件の場所、つまり最新の事件現場に着く。
やはり、同じように廃ビルだったが、どうやらまだ現場検証が続いているようで警察の姿があった。
その中に一人、見知った顔を見つける。
「よう、賢時じゃねえか」
「また、お前らか」
煙たがるような反応を示したその男の名前は谷本 賢時、刑事をやっていて、何度か首を追っているときに出くわした。
嫌そうにしているが、けっこう人がよく、簡単に中まで入れてくれた。
「なあ、煙草持ってないか?」
「あるが?」
「くれ」
「断る」
何もそこまで、というほどのかなりの反応速度で断られた。
「別にいいじゃ……」
「最近は高いんだ。断る」
俺だって高いから困ってるんだ。
しょうがなく自分のを一本取り出し吸う。現場検証中だというのに、別にいいのだろうか?
賢時を伺うが、何もとがめられず……というか自分まで吸い始めやがった。
「一応言っとくが、禁煙だ」
「自分が吸いながら言うなっての」
いくら自分の担当だからって少し横暴すぎると思う。
だが周りもなれているようで、誰も咎めはしない。逆に、最近の警察の不振の理由もわかった気がする。
「ここだ。まだ時間がたってないからくせえぞ」
生々しい血痕が残る事件現場まで通された。真理は外で待っていることにしたようだ。
「まだ俺たちがやってるんだ、何もさわるなよ」
「わかってる」
とりあえず、今までどおり周りを歩いて部屋の広さを調べ、状況をメモする。
「なあ、どんな感じだったんだ? 死体は」
「全身細切れ、舌と目は串刺しにされて、あそこの地図の上にばら撒かれてたんだ。少し、足りない部位が合ったが、それがどこにあるのかわからん。後、犯行現場を示す位置に頭がおかれていた。おそらくその地図に何か隠されてて、次の犯行現場を暗示してるんだ。まったくなめた野郎だ」
どうやら描かれていた地図はそのためのものだったようだ。勘では、なくなった部位が何かを示すか、もしくは、そのちりばめられた肉片に規則性があるかだろう。
「で、その何かは?」
「まだみつかっとらん」
苦虫をかみ殺したような渋い顔をしながら、手掛かりは無しといってきた。
「ほかには?」
「教えられるか。お前らが捕まえると警察は上がったりなんだよ。まあ、犯行時刻ぐらいなら、な」
「おう、ありがとうな」
第一の被害者からここの被害者までの全ての犯行時刻を教えてくれることになった。やはり、案外優しい。
「……とまあ、こんなもんだ、ほかに教えるものはない。わかったらとっとと出て行ってくれるか? 邪魔だ」
しっしと煙たがるように手で追い払われる。
「へいへい。じゃあ、失礼させてもらいますか」
適当に手を振りながら出て行き、扉の前で待っていた真理と合流する。
「帰るぞ。後は事務所で考える」
「えっと、じゃあ私はもう少し回りに聞き込みとかしてみるね」
「あぁ、頼んだ」
そんなことはしても無駄だといっても、それこそ彼女にとっては無駄だろう。ほっといて帰ることにした。
帰ってからの二本目を吸いながら、帰ってからずっと見っぱなしのメモ帳と地図をまた見る。
何でこんながんばってんだろうか。
おそらく、金のためっていうよか、煙草のために俺の心はなっている気がする。
「やっぱりなあ、情報が少なすぎんだよなあ」
本当にユーニは四枚のうちの二枚のカードを提示してくれていたのだろうか?
それとも本当はもっと手札が少なかったんだろうか?
どうもぼったくられている気がする。いや、絶対やられてる。
実際なら、ユーニか賢時どちらかから、ちりばめられた体のパーツの位置まで把握したかった。
だが、その情報は手に入れられなかったのでそちらへの思考は排除、別の線から考える。
まずは、情報の整理、犯行現場の部屋はどれも十メートル四方。どれも時刻は午後九時前後。白線で描かれた地図の上に、ばらばらにされた死体がおかれていて、そのうち頭は犯行現場の上におかれていた、と。
これだけか、地図は無視して、ほかに現場の状況に何かないか探す。
「……つってもなあ、絶対それが怪しいしな〜」
やはり、少ない。どうしたって見つかる気がしねえ。
描かれた地図と、犯行現場に印をつけた地図を遠くしたり近くしながら見比べる。
ふと、何かが重なったような気がする。だが、描かれていた地図じゃない。
何回かやってみる。
あぁ、そういうことか……
不意に答えがわかった。どうやらついてるらしい。
重なったのは白線の地図ではない、それが描かれた、部屋全体を表した図のほうだった。
ユーニに渡された地図は、警察も使用している一般的な地図で、形は正方形に近い。
そして、部屋も正方形。
そして、重なったのは、次の殺人が行なわれた場所と、部屋に描かれた、地図自体の位置だった。
なんてわかりにくいことしやがる。警察への挑戦状だったとしたらもっとわかりやすく示せっての。
最後の犯行現場の図と照らし合わせ、地図に大体の位置の見当をつける。
その中にある廃ビルの数は一つだった。確実に次の犯行現場はここだ。
「よ〜し、後は時間になってそこいきゃ犯人がいて、とっつかまえておしまい、と。考え疲れた、寝よ」
時間が来るまで寝ることに決め、隣の寝室まで足を運ぼうとするが、それもめんどくさくなって日ごろから使っているソファに寝転がる。
なんか引っかかることがある気がしたが、めんどくさいので起きてから考えるとしよう。
目が覚め、煙草を吸いながら準備を整えた後、地図の乗った机の上を見ると、何か置き書きがあった。
『見つけといてくれたんだ。ありがとう。先に行ってるね。もし私だけで捕まえたら分け前は七対三てことで』
七対三だと? ったく、調子に乗りやがって、誰のおかげで見つけられたと思ってやがるんだ。そもそもユーニより横暴だ、それは。
地図で場所を確かめようとしたところ、不意にさっきの疑問の答えがわかった。
地図の印を線で結んでいく。そして、不要だと思う線を消すと、やはり浮かび上がった。
それは、大規模な術化法陣だった。おそらく、戦争に使われる、戦略級法術が発動される。
この線で次の犯行現場を警察は予測することが出来なかったのだろうか?
ここまで大きなものを発動させようとなると、かなりの大人数が必要になってくる。
となるとこの事件は、組織ぐるみの犯行ということになる。
総仕上げとなる今回は、おそらくかなりの護衛と法術を発動するための人員を動かすはずだ。
なら、どんな組織がこんなことをする? 街一個を消そうとするなんて狂ったことをしようとしてるのは?
暴力団? それは、無い。あいつらは自分の利益に従って行動する。こんな自分の居場所まで壊すようなことをするやつらじゃない。
マフィア? これも行動理念はさほど変わらない。おそらく違う。
となるとやはりテログループ? 一番可能性が高い。そうなら自らの命さえ考えてない狂人たちだ。
いくら真理でも援護する俺がいないと危険だ。
時間は八時三十分をちょうど過ぎたところ。まだ戦闘が始まっていなければいいが、とにかく、早く行かないとまずい。
目的地につくと、時間はすでに八時四十五分だった。
廃ビルに入ると、すでに戦闘は始まっていたようで、犯人グループと思われる人間たちが転がっている。もちろん、死んではいない。だが、かなり人数が多い、かなり大規模な組織の全体で行なわれた犯行のようだ。
一階に真理の姿はない。どうやら戦闘の場は二階にまでうつされたようだ。
階段を駆け上がっていくと、二階に着いたと思った途端、男の体がこちらまで飛んできた。
「アブね!」
思わず声を出しながら避ける。止めてくれる障害物がなくなった男は、一回までそのままの勢いで叩きつけられる、さすがに死んだかと思ったが、小さく呻いて気絶する姿が見えた。
振り返ると、投げ飛ばした張本人、真ん中で男たちの中で大立ち回りをしている真理もこちらへ振り向く。
「もお! おっそ〜い!!」
「お前が急ぎすぎなんだよ!」
どうやらまだ無事のようだ、特に外傷は見当たらない、とんだ体力馬鹿で筋肉馬鹿だ。
真理が階段の近くまで来て、近距離タイプを遠距離タイプが援護しながら戦う、基本体勢に移る。
迫ってきた男たちを法術によって金属並みの硬度を持たせた足で次々と真理が蹴り倒していった。
どれも骨を何本か折る程度で昏倒させられていた。
「おい、生死問わずになってんだ。別に本気だしゃいいだろ?」
「いいの! こんなに殺したらまずいでしょ! それに、殺したらそれで終わりじゃない」
「甘いって、おまえは」
箱から煙草をはじき出し、左手で口に持っていく。
真理が、一人の懐に潜り込み、電気うなぎの要領で掌打に雷撃を纏わせ、失神させる。
だが、すぐに周りを敵に囲まれる。
そんな中、俺は、煙草を吸う。
そして、肺に煙を満たす。
俺の家系は代々の法術士でもあり、一つ特殊な能力を持っていた。
煙を吐き出し、それを指でなぞっていく。べつに、こんな状況でお遊戯するつもりはない。
真理が敵の攻撃を避けるために、足を開脚して、地面すれすれまでかがみ込んだ。それに合わせ、法術を放つ。
「貫け……」
何十もの豪速の槍が空間に現れ、敵の腕や足を貫いていった。
かなりの数がそれを避けてきた。
結局、彼女の言い分にしたがって、致命傷を避けるように狙った俺も、甘い、か。
特殊な能力、それは、煙草を媒体とした法術だった。これは世界でただ俺たち空煙家だけが有していた能力だった。
さらに、その法術は強大であり、俺の能力は並みの法術士のはるか上を行く。
交戦は続く。
「我、鎌鼬の赤き爪を右手に纏う!」
真理は、左手のつめを赤く鋭い引き裂くための爪に変化させ、当たる寸前まで来ていた足を切り裂き軌道をそらす。さらに背後から迫るナイフを持った敵にもすばやく反応し、ナイフを蹴り上げ鳩尾に右拳をたたきこんだ。
不意に四方から法術によって紡ぎだされた矢を、真理は飛んで避ける。
そこに、追い討ちをかけるように三条の矢が放たれた。
「我、神使の黒き翼を背に纏う!」
一瞬だけ背中からカラスを思わせる黒い翼を広げ、姿勢を制御、それをかわして着地。
目には、獲物を狩る動物のような力強い光が宿っている。
今の彼女は筋力、反応速度、五感の鋭さ、どれをとっても人の規格外だ。銃弾でさえも見切るそれは、並みの法術じゃ捉えきれない。
敵が真理に翻弄されている間に、煙をなぞり、術化法陣を築く。
「燃ゆれ……」
真理が敵の男の頭を踏みつけながら天井すれすれのバク宙を決め、その隙を埋めるように、地を這う炎が男たちを覆う。
足を焼いて戦力を奪おうとしたが相手も法術士が多い。火などものともせずに突っ込んでくる。
彼女も両腕に青白く光る雷光を纏わせ迎え撃つ。
敵に触れるたびに激しい光がほとばしるが、殺さないように調節された雷撃だ。
もう一度煙を吐き、なぞる。
「ごめん! 二人行った!」
いわれたとおり、術士が二人こちらに向かって突っ込んできた。
おそらく、片方は媒体型、もう片方は何かはわからないが近接だ。
真理のほうも手一杯らしい、自分で何とかするしか、ない。
読みどおり、媒体型が懐から何かを取り出して投げつけてきた。
それに対し、途中まで組み上げていた法陣を無理矢理簡略化して、相殺するだけの威力で放つ。
投げたものから雷撃が走るとともに、煙からも爆炎が生じ、ぶつかったところで光がほとばしるだけに終わる。
だが、その光にまぎれて、剣を持った近接型がこちらに飛んできていた。
一足飛びに後退しながら、そいつに向けて、ポケットから取り出したライターの口を向ける。
相手の射程内に入る寸前、略式によって巨大化された炎を放つ。
とっさに相手は両手で顔面をかばった。外傷は、威力のない略式ではまったくついていない。
だが、一瞬、視界と両腕を塞ぐだけで、十分だ!
後退の力を、余すことなく片足に乗せ、反動で一気に敵に肉薄する。
ちょうど相手は腕を下ろしてきた。一瞬視線が交錯する。
その右目に、短くなった煙草の火を、灰皿で火を消すかのように押し付け、焼く。
痛みに剣を振り回して暴れだすが、何とか胸板を蹴りつけて媒体型のやつまで押し返す。
二人で絡まって倒れている間に、ライターで法術を放った際に新しくつけておいた煙草で法陣を描き出す。
全員を吹き飛ばすほどの強力な法陣を、すばやく描き出す。
「真理! 絶縁しとけ!」
こちらの声に片手を上げて答える。
「雷光よ……」
法陣を纏わせた右腕を地面に叩きつけると同時、まばゆい蒼い光が部屋を満たす。
光が収まった頃合で目を開くと、ちょうど真理が残っていた一人を殴り、全員が倒れたところだった。
こちらの意図を判断して雷撃に対しての対抗法術を築いていたのが何人かいたようだが、彼らも強い光までは対処していなかったようだ。
体の表面を絶縁化して、さらに目の表面にサングラスのように黒い膜を張って視界を確保していた真理が、目くらましに動けなくなった敵を倒していた。
遠距離が援護する体勢といったが、この体勢には逆の意味もある、前衛が時間稼ぎをして、後衛がでかい法術を放つという、多人数を一掃する戦法だ。
名残惜しいが吸えないほど短くなった煙草の火を消す。
法術で使うと楽しめないから困る。
「ふう。やっぱりここが締めになるか。まずいな、時間がない。完成してなけりゃいいんだが」
「どういうこと?」
「あ〜っと、な。今までの一連の事件は戦略級の法術を発動するための儀式だったんだ。死体の体の一部が欠損してることから、おそらくそれを贄として発動する召還型。で、ここが最終地点、止めなきゃ街一帯が破壊される可能性がある」
「え! やばいじゃんそれ!」
「だから急ぐんだよ!」
二階ではないことを調べ、三階まで駆け上がっていく。
三階は、巨大な術化法陣の青白い光によって部屋中が満たされていた。
もう術が発動しちまっていやがる。
術を発動させた八人は反動で命を落としていた。
個人のことをまったく考えられてない行動だ。それを平然とやってのけるやつらがいる組織ということは、よほど統率力があるということだ。
まあ、この非常にまずい事態を何とかすれば、そいつらが死んでいようと生死問わずなのだから金は手に入るのだが。
「どうしよう! もう始まっちゃってるよ!」
法陣の軌跡は全て中央に収束し、そこから黒い点が広がっていく。
異空間とを連結する穴が開き、召還されようとしていた化け物が、姿を現し始めていた。
「そいつを押し戻して、穴塞ぐしかねえ!」
鎖に覆われ、間からは何かが激しく蠢いているようなことが確認できる、見るものを戦慄させるグロテスクな頭が現れ始める。
完全に頭を穴から出すと、それだけで天井を突き破った、なんてデカサしてやがるんだか。
化け物が口を大きく開く、がたがたの歯と腐った肉のような口内が見えた。
するとその気味悪い口の中から、術の発動を示す蒼い光が漏れ出してきた。
「まずい!」
大量の巨大な刃が放たれるが、間一髪のところで真理が俺を引っ張って範囲外まで逃げてくれた。
「じゃあ、私がひきつけるから一発おっきいの撃って押し戻して!」
「ああ」
役目を果たそうと、ポケットの中に手を入れるが、致命的なものが欠けていることに気づいた。
「やべえ。弾切れ、だ」
もちろん銃じゃない、俺はそんな便利な者を持ってはいない。現状での役立たず決定。
「……ええっ! 煙草切れたの! だからこういうときのためにとっておけっていつも……きゃっっ!」
もう一度刃が放たれ、それが真理の右太腿を引き裂いていた。
重症ではないが、機動力を奪うには十分な傷だ。畜生、俺のせいか!
「んッ……。じゃあ、私がここは何とかしておくから、叢紫は応援を呼んできて」
「無理だ」
無理だ、満足に動けない今の状態じゃ、俺が助けを呼ぶまで避け切るなんてことは出来ない。翼はこの狭い空間じゃ連続した移動には邪魔なだけだ。さっきのようにいちいち詠唱していたらいずれ捉えられる。それにそんなことをしている間に完全に出てきちまう。
「いいから。はやくっ!」
俺を説得しようとこっちに意識がそれた瞬間を狙って、もう一度刃が放たれた。
「……馬鹿!?」
とっさに左手で彼女をかばう。
単なる素手で何本もの刃を払いのけたせいで、一瞬にして腕がズタズタになった。
「叢紫!?」
泣きそうな声を真理が上げる。
「いや……大丈夫だ。それよりも自分の面倒見てやがれ!」
煙草の利き腕でかばうなんて、俺も馬鹿か。いや、今は吸う煙草も無いただの役立たずなんだよな。馬鹿以下か。
「ごめん……」
もっと泣きそうになりながら謝ってきた。
さらに真理を狙って刃が放たれ、避けきれずに上半身を掠め、何かが飛散る。一瞬、彼女の血かと思った。
「おい! 大丈夫か!」
「あ……」
「どうした!?」
「私、煙草持ってるんだった…」
少し間の抜けた声を上げて、周りに飛び散ったものを見回していた。
「ハァ!? 何で持ってるんだよ! お前吸わないはずじゃ!」
さっき飛散ったのは、上着のポケットが破れて飛び出した、煙草だった。
「いいじゃん! とにかく、これで撃って」
一瞬だけ横を走り抜けると拾った煙草を何本か手に乗せてきた。なぜかそれは俺が吸ってる銘柄と同じだった。
「ひきつけるのは頼んだ! 一発でケリをつける」
火をつけ、これ以上ないくらいに肺に溜め込む。
そして、十分に法力を乗せて、吐き出す。
先ほど使ったものより、数段精緻に、複雑に、法陣を描いていく。
描き終わるが、まだ終わりじゃない。
そのころ、真理には避けきれずに細かい傷が体につき始めてきていた。時間がない。
煙草の火が、赤々と、強く、光る。
激痛とともに左腕からぼたぼたと血が流れ落ちるが、そんなものをかまっている暇はない。彼女が危ない。
すばやく手を動かし、火で、描く。
術化法陣に、さらに方陣が刻み込まれていく。
火の軌跡は残像を残し、方陣自体も次第に赤く光り始める。
さらに手は加速し、何重にも、深く、法陣を刻み込んでいく。血が周りに飛散る。
法陣の紅き光はピークに達した。
「できた。真理!」
声を聞いて、こちらの背後まで真理が移動してくる。もうその体はぼろぼろだった。
「悪い。時間かけた」
継続して描きつつ、謝っておく。
「それで倒せなかったら、ただじゃおかないからね」
その声も弱弱しい、煙草を切らした自分が情けなくなってきた。今度から気をつけるようにしよう、彼女に迷惑かけないように。
化け物がこちらを向き、口を開く。相手もケリをつけるつもりか。今までよりも数段強い光が紡ぎ出されていた。
「時に型成す破壊の神よ
生を現し
死を現す
災禍の蒼炎よ
総てを葬り
蒼空を切り裂け
天無……龍蒼!!」
詠唱によってすでに質量を持った強大な法陣に、掌打を叩きつける!
この世総てを戦慄させるほどの殺気を放つ、巨大な翼を持った光の龍が現れ、放たれた刃の群れさえ消滅させながら飛び立ち、化け物の顔面に直撃する。
激しいせめぎあいが行なわれ、龍と化け物の力が拮抗する。
「龍よ……閃けぇ!」
翼を大きく広げ、心臓を鷲掴みにされるような、脳に直接響くような巨大な咆哮を上げる。
龍の体がひときわ強く、蒼く光り、凄絶な力を発揮した。
空間に蒼い光が無数に疾り、化け物の頭部がズタズタに引き裂かれる。
化け物の力が弱まり、龍が穴の中へ押し返していく。
悲痛な叫び声を上げ、化け物が穴の中に落ちていった。
穴が閉じ始め、この世界と異界とのつながりが弱くなっていく。
穴が完全に閉じると、部屋を満たしていた召喚法陣の光が消えていった。
緊張がきれて、床に肘をついて仰向けに倒れ込む。
「ふう、終わったな」
「よかった」
首を上に向けて後ろを見ると、頑強で特殊な体を持つ体質変化法術士の傷は、もう癒え始めていた。
「なあ、なんでもってたんだ? しかも俺が吸ってる銘柄」
「それは、叢紫が吸ってるの見てたら、どんな感じなのかなあ? と思って、でも、ぜんぜんダメ、よくあんなもの平気で吸ってると思ったよ」
苦そうな顔をして舌を突き出すしぐさをした。
「……それに、なんか、叢紫が吸ってる姿が私は好きだし」
「ふ〜ん」
左腕の痛みでほとんど聞き流すように聞いていたせいで、ボソッと何をつぶやいたのかまでは聞き取れなかった。
まあ、これでとにかく今回の仕事は終わった。
しばらくは、煙草の心配は、しなくてすみそうだ……