No.61 会える。会える。また会える。
便利だな、と秀馬はしみじみ文明の利器に感謝する。東北と関東に別れても、こうやって引越し後もつながれる。
《うーっす。秀、何時までスカイプへーき?》
話し相手は、堀田信之。中学最後の一年間を一緒に過ごしたクラスメート。あけすけの明るいやつで、秀馬の“見せ掛けの明るさ”とはちょっと違う。
そんな彼の彼女が呉崎あやめという、これまたやっぱりキツイ口調と負けん気の強い、堀田と釣り合うハイテンションなクラスメートだった女子で。そんでもって。
「十一時までは繋いでもいいってさ。で、その、あれよ。小橋は今回の旅行の件、Okだったって?」
心の中では何度も何べんも“咲良”と名前で呼べるのに。親友の前でさえも未だに秀馬は、初恋の彼女を苗字でしか呼べなかった。
《おう、バッチリ! あやめに任せりゃ、あの口調で咲良の質問なんか瞬殺で封じこめれるってヤツ》
ぎゃはは、と笑う声が耳障りだ。いや、癇に障ったところは、実際のところソコじゃあないわけで。
「……これみよがしに名前で呼ぶなっつの」
秀馬の声が更に低くなる。それを意に介さず堀田の話は続けられていった。
《ったく、お前も咲良もさ、なんで俺らを間に挟まないとろくすっぽ本音を吐けないんだよ。あいつもあやめにグダグダ泣きついたらしくてさ》
――離れ離れになるのがいや過ぎて、さよならって言われるのが怖くて、逃げたの。
《……だとよ。卒業式のあとにあったお前の壮行会、ちゃんと出ておけばよかったって、未だにグジグジ言ってるらしい》
俺はともかく、あやめが太鼓判を押してるから、という堀田の言葉が、秀馬を一瞬無言にさせた。
親のパソコンにカメラがなくてよかった、としみじみ思う。堀田に今の顔を見られたら、もっとちゃかされるに違いない。
秀馬はパソコンの隣にある書棚のガラスに映る自分を見て、心の底からそう思った。
「あのさ、俺、そっちまで迎えに行ったらドンビキされっかな」
《は?》
「いや、家の親がさ。女の子の親ってのはイロイロ心配するから、ちゃんと友達と一緒に女子の家に回って挨拶して来いって。それだけでも充分安心するからって、手土産買って来るから人数を伝えろって」
《あー、お前んとこの親って、フリースクールのセンセっつったっけ》
「うぃ。人手が足りなくてあちこちの学校に異動してっから。いろんな生徒の保護者を見てるし。ウザいっちゃウザいけど、第一印象大事だしなー、とか」
《だな。家の親も、お前んちなら俺が下手なことやらかさないだろうとか余計なひと言つけてオッケーしてやがんの》
自分の息子にえらい言い草だな、と思うのだが、堀田自身が、それを少しも気にもせず、またカラカラと明るく笑う。
「面子、何人になりそうだ? 手紙も持たせるから渡せってさ」
《おう。お前んちの親のお墨付きなら、あやめんちの親もイケるし》
「岸辺や折越とかは?」
《あ~……ほか、誰も誘ってない》
妙な沈黙が、結構長い時間流れた気がする。あけすけ過ぎる堀田が最近零す愚痴と言えば、まあいわるゆ、アレなあれだ。秀馬は嫌な予感がした。
「お前……ヘンなこと考えてないだろうな」
牽制のつもりで、一応突っ込んでみる。
《な、な、そっち行ったら別行動だろ? お前だって咲良とふたりっきりの方が》
「ガチエロ、死ねや」
《って、なんで! 関西弁?! しかも死ねとか! このムッツリ野郎!》
鼓膜が破けるかと思った。秀馬は思わずヘッドセットを外した。
「お前らは毎日会えて時間も交流も長くて、そりゃそういうこと考えられるんだろうけどな……」
こっちはそんな状況じゃない。しかも相手は、あの小橋咲良だ。奥手を絵に描いたような縮こまった彼女に、そんなえげつない魂胆がバレた日には。
「ガチで完全に、今度こそ本気で絶対に100%嫌われるだろうが……」
言葉にした途端、無理やり奮い立たせて来た度胸が瞬時に萎えてしまった。
《――ぃ、ぉーい、秀! コラ!》
ヘッドホンから漏れて来る堀田の声で我に返る。秀馬は気を取り直し、もう一度ヘッドセットを装着した。
「ああ、わりぃ。ちょと席外してた」
嘘も方便、とどこかで聞いた気がする。便利なものは、なんでも使うに限る。
『あー、秀馬? 今、ノブを言葉で殺しておいたから。ごめんねぇ。お待たせ』
家の都合できっと接続できなかったのだろうと思っていた呉崎あやめがスカイプ通話に加わっていた。
「ばんわー」
『ばんわー。元気なさそうじゃん。バカノブの言ったこと、気にしてるの?』
「……おまえ、いつから加わってたんだよ」
そう問いながらもおよその見当がついた。まだ肌寒い四月初旬の夜なのに、妙に背中に汗が伝った。
『“ガチエロ死ね”から、かな。ンなことして外泊禁止令を親から食らっちゃったら、咲良んちにも泊まれなくなるじゃん。勘弁してよ、って今怒ったところ』
そしててきぱきと本題に入る。呉崎らしいと言えば呉崎らしい。
『あ、そんでね。先に咲良のお母さんに根回ししておいた。このところ元気がないんだけど、クレちゃん何か知ってる? って、家のお母さんを通じて訊いて来たのね。だから咲良のお母さんに直接電話して話したの』
「なんて?」
『小日向くんの壮行会にズル休みしたことで落ち込んでるんだ、って。で、今回のことをお願いしてみたのね。咲良にはナイショにしてて、元クラスのみんなで小日向くんちへ遊びに行くんだ、って。ありがとう、って。なんか咲良ね、秀馬のこと、お母さんにはイロイロ話していたみたい』
意味ありげな“イロイロ”の部分のイントネーションに、心臓が思い切り蹴飛ばされる。
「な、なんだよ、い、イロイロって」
『自分がクラスの中にいていいって思わせてくれた恩人、って』
保護者同士の繋がりで、母親同士は話していたことがあるらしい。きちんと挨拶をしていく礼儀正しい子だと言ってくれたらしい。
『私が一緒なら行ってもいいって言ってくれた。あと、オフレコの件もオッケーだって。言えばきっとグズグズ言ってまた逃げる子だから、って、咲良のお母さんも苦笑いしてたよ。よろしく、って』
外堀が、埋まった。そう思うだけでドキドキして来る。
「こ、はしは?」
なぜどもる、というツッコミが堀田から入れられた。
『ホテル代は、誕生日プレゼントってことにしといた。予約済んでるからキャンセル料取られちゃうって。全然疑ってないの』
「……黒いな、呉崎……」
そう言いつつも、頬の筋肉に、口角を上げようと力が入り出す。
『やっと会えるね。よかったね』
柔らかな声音でそう寿いでくれる呉崎は、咲良とは違う意味でいい女だと思った。
「へへ……さんきゅう、呉崎」
『なーにがぁ? 私は咲良のためにしてるだけだもの。ちゃんと伝えたかったのにって、いつまでもグジグジしてるから苛々しちゃって』
頭の中にハテナマークが飛び交う。卒業記念写真を撮る時に彼女が言った「ありがとう」とはまた別のことなんだろうか。彼女との関わりから思い浮かぶのは、それくらいしか見つからない。
「なんか、前に“ありがとう”ってのは聞いたけど。本人、忘れてんのかな」
妙に長い沈黙が居心地悪く漂った。
《そいつは、なあ》
口ごもって堀田が言う。
『私達から伝えることじゃ、ないもんねえ』
くつくつと笑いをまじえ、呉崎が意地悪な声で合いの手を打った。――なんとなく、判った気がした。喉がカラカラに渇いていく。心臓が、やたら痛い。
『私とノブとで、先に東京駅まで秀馬を迎えに行くわ』
《ああ、そんでさ。俺ら、ひと足先に咲良んちへ行くから、俺らに親からの手紙とか土産とか預けろよ》
『あ、そうか! じゃあ私、咲良をあのグラウンドに呼び出しておくわ。秀馬はそっちに向かいなよ。ちょっとだけふたりの時間をあげる』
コトコト、コトコト、脈を打つ。首筋がドクドク言っている。巡る、巡る、繰り返すのは、バカみたいに意味のない“そうなんだ”という言葉。
嫌われていたわけじゃなかったんだ。ほかのみんなにまじえてという形じゃなくても、来てくれるかも知れないんだ。
そう思うと、体中がかゆくなった。じっとしているのがつらくなって来た。
「……あ~っと、さんきゅう。た、タイムアップだから、切るわ」
そそくさと礼を言い、また連絡するとついでのようにつけ加え。秀馬はふたりの冷やかす声も途中のままで、そのままスカイプをシャットダウンさせた。
会える。会える。また会える。
また咲良の笑顔が見れる。
笑うと出来る、両のえくぼ。少し目尻が垂れ下がる、ドキっとさせる幼い微笑。思い出すだけで、息苦しくなる。
「っしゃーーーーーー!!!!!」
時刻は深夜二十三時。秀馬の絶叫のすぐあとに、母親からの「近所迷惑、静かにしなさい!」という怒声が小日向家のリビングに轟いた。