生ある者達へ(想い)
頑張ってください。軽い言葉に聞こえるかもしれませんが、精一杯の言葉です。
死者の弔いも大事だ。しかし、現在を生きている人間を守る事は更に大事だ。
死者は、運命という言葉をつかえば、余りにも残酷かも知れないが、運命と考えれば天寿を全うしたと思い込む事が出来る。
しかし、生者はそうではない。現在を生き、現在に苦しんでいる。苦しみの中で、もがきながら生き続けている。
天災にて、その命を絶たれた者は天寿を全うし、極楽浄土へ旅立ったと思えば良い。
悔しいだろうが、それが生者に託された死者への最上の弔いではないだろうか。
天寿は、いつどこでやってくるかわからない。
生者の今やるべき事、それは天寿を全うした者の分まで、生きる事。生き延びる事ではないだろうか。
そんな事はわかっていると言われるかもしれない。
悲しみに明け暮れ、生気をなくした者達が近くにいるなら、そう伝えてやって欲しい。
信じる宗教。信仰する宗教は、それぞれ違うだろう。
しかし、死者は異世界に行くのだという概念は変わらない筈だ。
極楽浄土なのか、天国なのか、それはわからないが、天寿天命を全うし、現世から、異界に旅立ったのだ。
生ある者が、その繋がりを解いてやらねば、死した者は異界へ旅立つ事も許されず、現世をさまよう事になる。
死者の弔いは、生者が自分自身の生活を確立してから行えばいい。
まずは生きる事。生き延びる事。そして、自分自身の生活を確立し直す事。
これこそが、死した者達への最上の弔いになると思う。
『皆様、街がさらわれ、人がさらわれ、命がさらわれ、生活がさらわれ、なにもかもがさらわれたような気になっているかもしれませんが、あなたの命は、さらわれていません。あなたの未来も、さらわれていません。辛い現実でしょう。苦しい現実でしょう。それでも、あなたはあなた達は生きているのです。死した者達によって、生かされているのです。その命を無駄にする事なく、生きてください。現地にいない愚者の呼びかけかもしれません。しかし、私は何故か、見知らぬあなた達に生きていて欲しい。……そんな想いを届けます』
生きる事は、死した者への弔いだと思えませんか?