番外編 かつてライダーにあこがれたおっさんたちへ でもそれはヒーローウォークじゃない
東島丹三郎は仮面ライダーになりたい っていいよね、アニメも頑張ってるし、
でもそれはそれとして気になるところは気になるんだ、そこはぼやかせてくれという話。
あと内容知ってること前提で語っているかもしれない、すいません。
-あの時誰もが夢見た、は言いすぎか-
どちらかといえば、筆者は仮面ライダーに対して原理主義なスタンスである、面白ければいい、子供に夢と希望が与えられればいい、わしらはそのおこぼれで楽しませてもらえばいい、
でも、だからこそ、悪の仮面ライダーとかライダーの殺し合いとか言う「交通ルールを守ってひき逃げしよう」とでも言うような存在そのものが矛盾だらけの展開は「仮面ライダーとは言わない」派である。まぁこの辺はクッソ長文で語りだしそうなので自重するw
そしてそんなめんどくさい老害(一号から見てんだ、筆者の年齢もお察しである)でも胸を熱くしてみているのが、これ書いてる時点で放映中の
東島丹三郎は仮面ライダーになりたい
である。
主人公たちはいい年して仮面ライダーにあこがれて、あこがれるあまりライダーになろうと己を鍛えまくった、こう、キ〇ガイというか変態というか奇人変人たちである。
彼らは仮面ライダーではない、どちらかというと(趣味が絡まなければ)善性の人たちであるが、その分ライダーが絡むと狂乱する。
人類の愛と勇気と平和のためにも戦うが、「ライダーな行動をしたい」が先に来るので、怪人が出ればお互いに押しのけ合い俺が俺が戦うんだと自分たちが争い出す。
まぁそうでもなければ数十年一心不乱に体を鍛え続けたりしないだろう、大抵はどっかで折れる、大抵は小学校時代に。
でも、そんな無茶苦茶な連中ではあるが、だからこそ、特定世代のおっさんどもにはわかるんだ、
痛々しさがわかる、だって自分も恥ずかしかったから
そしてだからこそ痛いほど気持ちがわかるんだ、むしろ貫き通した信念に尊敬すらする。
変身シーンもいい、原典をよくわかってる、腰の入った良いポーズだ。
音楽もいい、著作権の都合で詳しく言えないので申し訳ないがこっちは自分で探してくれ。OPの真ん中あたりとか身につまされる。
一話のチンピラ不良相手に「母親にお小遣い貰って何をイキがってる」「闘うなら悪と闘え」的なセリフはいろんな意味で正論パンチでよかった。
もちろん、変身してのアクションだって見事なものだ。
-ヒーローウォーク-
でも、だからこそぼやかせてくれ、お願いだ。
あれはヒーローウォークじゃないんだ。
ヒーローウォークとは何か。
これは作中で主人公東島がV3愛が度を越した男、一葉の歩き方を見て叫んだ一言である。
仮面ライダー特有の歩法に対して彼がつけた造語と思われる。実際当時の仲間内や、数少ない有識者の知り合いに確認したが、少なくとも当時この呼称で呼ばれていた形跡はなかった。
具体的にはどういうものかといえば、
・怪人を見据え、視界から外さないようにしつつ、この怪人を中心として「ザッ、ザッザッ」とでもいうべき独特のリズムで円を描くように周囲を回る。
→場合によっては怪人も回って、二つの円を描くこともある。
・この際、足の位置に合わせ、上半身の構えもリズムに合わせて変える、これは恐らく攻撃や防御の際の踏み足など、足の位置に合わせていると思われる。
というものである。いわれてみれば、ああ、と思い出せる読者諸氏も多いだろう。
なお、この歩法は前述のように実際にヒーローウォークと呼ばれてはおらず、現場では「回り」と呼ばれていたらしい。
歌舞伎や殺陣などでも使われる用語で、相手の周りをまわる、のような意味合いらしく、一人を大勢で囲む(戦闘員などがよく使っていたもの)など様々なバリエーションがあったとのこと。
ライダーのそれはそうした「回り」の一種であったらしいが、仮面ライダーが使うものだけ、その独特なリズムや型から印象に強い。
(ちなみにお互いをアップで見せてカッコよさを強調したり、尺を稼いだりするのに使われたらしい)
さてこのヒーローウォークと呼称されるライダーの歩法、原作では実によく表現されており、動かない静止画でありながらライダーの幻像が見えたほどだったのだ
のだが、これがアニメになった時に崩れてしまった。
さてここからがボヤキの本題
アニメでヒーローウォークが表現されたのは島村一葉と東島丹三郎の二人が一回ずつなのだが、
一葉のそれは上半身固定のまま、セル画をずらしたように横に動くだけのもの、上半身のブレがなくて達人ですね?
でもそれはV3の動きじゃないよね?
東島のものは上半身というか腕ををゆらゆら動かしながらそれとは全く関係なく横歩きでリズムの同期がとれていない、あと、テンポも違う。
作中のセリフで表現するなら「隙だらけよ」である。
ヒーローウォークという造語は良かったんだが、それが表現されていないので悲しいことになってしまっているのだ。
-余談 京劇と殺陣-
ここからは余談かつ、筆者の勝手な想像もしくは邪推。
人づてに聞いた話で、ソースが確認できなかったのでまぁ話半分で
かつて中の大陸のほうで日本風の特撮番組を作ったことがあるのだが、
どうしてもアクションシーンが「コレジャナイ」になってしまい、かっこよくなくて、最終的に日本から殺陣師を呼んでアクションしてもらったところ、きっちりと決まって撮影できたという。
これはあちらの京劇などのアクションでは、日本の殺陣にとって重要な「間」というものがなく、そのためこの文化が理解できなかったからなのだそうな。
緩急のついた一瞬の静止や相手のスキを探る睨み合い、時に対戦相手と背中合わせになるような、あるいは次々と襲い掛かる悪漢をリズムよく切り捨てていくような、そうした殺陣の文化がなかったのだという、なんとも風情に欠けると思ってしまうのは筆者が日本人ゆえか。
だからもしかしたら、アニメ化の際のどこかで、別に大陸の人間ではないかもしれないが、そういう文化がわからない人が挟まったせいで、そうした残念な動きになってしまったのかもしれない。
ライダーにこだわらなければ、かっこいいアクションは結構多いんだけどね。
東島がパンチを打つ時の大きく足を後ろに下げて踏み込む構えとか「キュア〇ラックだ!!」ってなったし。
-1つ聞きたい。貴様にとって、最強の仮面ライダーは誰だ?-
仮面ライダースーパーワンです。他も見てたけどあれが直撃だった。
って話はともかく、この後にコミックでは
「平成ライダーとか腑抜けた事ぬかすなよ」
と続くのだが、これはアニメ版ではオミットされている。まぁ、当たり前の話だ。
当たり前の話なんだが。
このセリフ、実は作品を何重にも表している重要なワードだったりするので、実にもったいないのだ。
極論すればこの一言が作品の方向性を決定づけたといっても過言ではない、いややっぱりちょっと過言かも。でも本当に大切なセリフなんだ。
1、島村一葉がそのような思想を持っていること。これは彼の思想だけでなく、彼の強烈な性格を表す一助にもなっている。(他の人物が強烈ではない、とは言ってないし言えない)
さらに、他の登場人物がこれに対して異論をはさむどころか、誰も反応すらしていないことから、彼らも同様の意識でいることがわかる。
2、作中世界に平成が存在する。主人公東島が一号のリアルタイム世代だったとすると、もっと歳を食ってなければおかしいなど、時間軸に謎がある本作だが、少なくとも平成は存在していることがこれで分かる。
3、平成ライダーと呼ばれる作品が存在している、それも、原理主義者(一葉)が「腑抜けた」と表現していることから、恐らく現実世界とそう変わらないシリーズであることが予想される。
4、これを言わせたということで、ライダー狂いの中に平成以降のキャラは登場しないことをにおわせている
さらに3にあるようにこちらの世界と同じ流れであった場合、おもちゃ展開的にガジェットや武器を多用する作品であるため、ひたすら鍛えぬいて常軌を逸した彼らの仲間に加わるキャラとしては出しにくいことも傍証となる
実際、島村三葉はそのカセットアームの再現が難しいために作中でかなり苦労している。
と、いろいろとこの一言から読み取れる、読み取れてしまうのだ。
だから
事情は分かるけど
このセリフ削ったのはもったいないなぁ
と、思わずにはいられないのだ。
一応たまってたネタは消化したのでここまでで。
また何かたまってきたら再開するかも。
カクヨムってはやってるけど、携帯だと使い勝手が悪すぎる とか




