第4章 手を汚す者【3】
「スクリプトールはいない、ですって?」
不服そうな声が言う。その表情は憂いに満ちている。
「そんなまさか。必ずどこかにいるはずよ」
その言葉には同意できる。報告は到底、信じられるものではなかった。
「あのとき、スクリプトールは首無しの騎士に連れて行かれたのでしょう?」
目撃者はそう口にした。しかし、他にその姿を見た者はいなかった。
「そもそも首無しの騎士とは何者なのでしょう」
「さあ」
確かな証言はない。その情報が正しいのか証明する方法はない。
「ああ、面倒なことになったわ。スクリプトールが逃げただなんて」
溜め息交じりの声は同情を誘っているようだった。
「心配は要りません。鍵はもう捨てました。今頃、どこかで動けなくなっているはずです」
「でも、スクリプトールが逃げたのは確かよ」
確かにその通りだ。あのとき、スクリプトールは死んだはずだった。
「それはそうだが、あのちっぽけな人形に何ができると言うんだ?」
あの人形は王の盾でしかなく、なんの力も持ち合わせていない。そう作られていたからだ。
「けれど、気味が悪くておちおち寝てもいられないわ。早く見つけてちょうだい」
「わかっています。これ以上、スクリプトールが逃げ果せることなんてできませんよ」
いずれスクリプトールは見つかる。スクリプトールが生きているからだ。どこに居たとしても、必ず見つかる。ちっぽけで力ない人形がいつまでも逃げられるはずがない。スクリプトールに残された時間はそう多くないだろう。
* * *
「最近の王宮って、いつもなんとなくピリピリしてない?」
箒を手に囁きかける声に、小さく頷く。
「居辛いったらないわ」
「スクリプトール様は生きてるって、そればっかり」
誰にも聞かれるわけにいかない言葉に、声はさらに低くなる。
「スクリプトール様がダフニス王陛下の身代わりだったって聞いて、ちょっとショックだったわ」
「人懐っこくて可愛らしいお方だったものね。あたしたち使用人にも優しくしてくれて」
噂の的は常にスクリプトールだった。あの一件は使用人たちにも衝撃を与えた。こうして囁く声はあちらこちらから聞こえる。
「街では徴兵も始まっているし、このまま戦争になるのかしら」
王宮内の噂話は穏やかなものではない。不安に思う者も少なくないだろう。
「聖騎士星団も魔法隊も壊滅したのに、いまからどうやって立て直すのかしら」
決して軽くない結果を王室がどう捉えているのか。それを知る由はなかった。
「街から離れる民も多いのでしょう? この国はどうなるのかしら」
「戦争だけは勘弁してほしいわ。ああ、怖い」
民の声はどこまで届くのか。民の表情は見えているのか。ただそれだけが気掛かりだった。
* * *
魔王だった頃は退屈が嫌いだったが、テーブルに着いて紅茶とともに本を読みのんびりと過ごすことも悪くないと思うようになった。そのあいだ、ラプトールは家事をしているようで、まめな彼にはそれが性に合っているのかもしれない。
そろそろこの体は睡眠の時間に入る。人間だった頃のような眠気ではなく、体が徐々に機能を停止していくのだ。ぜんまいの全自動化はまだ完了しておらず、寝ているあいだにラプトールが鍵を回すはずだ。
きりの良いところで切り上げようと本を閉じると、静かなノックが聞こえた。アルクスの声で玄関扉を開くのはマークだった。
「こんばんはー! マークちゃんです!」
マークはいつも通りの明るい声で挨拶をするが、その表情は少しだけ曇っている。
「やあ、マーク。今日は大変な一日だったな」
アルクスの言葉に、マークは笑みを消して目を伏せる。
「王様、兄を守ってくれてありがとうございました」
「トマスを守ったわけではない。我が愛する民を守っただけだよ」
マークは薄く微笑む。アルクスの判断次第で兄が無事では済まなかった可能性があることはわかっているのだ。
「それに、この先も無事でいられるという保証はないのだよ」
「それでも……兄は居場所を失わずに済みました」
トマスはこの先、村から出ることのほうが危険になる場合もある。アルクスの守るルーメンで大人しくしていることで安全が確保されるだろう。
「あたし……もっと強くなりたいです」
胸元で拳を握り締めるマークは、真っ直ぐにアルクスを見つめる。
「次はあたしが民を守る番になるかもしれません」
「この村は王国に目を付けられることになる。厳しく険しい道のりだ」
人間である彼女たちには、国を相手取ることは容易なことではない。
「覚悟の上です。王の右腕を名乗れるくらい、強くなります」
マークの瞳は決意の色で輝いている。
「あたしの忠誠は、アルクス王のものです」
アルクスの瞳を見据える表情は、王の配下として充分な気力を表していた。
「いいだろう。その覚悟を受け取ろう」
力強く頷いたマークは、丁寧に辞儀をして去って行く。その後ろ姿を見送り、アルクスは小さく笑った。
「王室の動きが気になりますね」ラプトールが言う。「スクリプトールはいないという報告に納得したでしょうか」
「していないだろうな。何がなんでもスクリプトールを見つけ出そうとするはずだ」
王室がルーメンを狙ったとは考えにくい。スクリプトールは生きていると確信し、各地に刺客を送り込んでいるのだろう。この村に差し向けられた刺客は空振りに終わったのだ。
「だが、世界王に比べればこの国の王室など高が知れている。聖騎士星団も魔法隊も壊滅した。いまさら徴兵を始めたところで遅いさ」
先の抗争でソル・フォルマ王国は完全に力を失っている。アルクスがその覇権を握る日は遠くないはずだ。
「ソル・フォルマ王国は陥落する。この事実を認めていないのは王室だけだ」
不敵に微笑むアルクスに、ラプトールも力強く頷く。
「落ちるからこその太陽ではないかね」
アルクスの魂がスクリプトールの体に宿った瞬間、ソル・フォルマ王国の運命は決まったようなものだ。それに気付いていない王室は、アルクスにとって道化のようなものだった。
「民は選択を迫られることになりますね」
「賢い者が多いといいのだがな。賢い者は撤退を躊躇わない」
「陛下の御前で躊躇ったら終わり、ということですね」
「多くの民がそれに気付くことを祈るよ」
アルクスはソル・フォルマ王国を陥落させる。だが、それに民を巻き込むつもりはなかった。アルクスを王と仰ぐ者を拒む理由はない。去る者を追う必要もない。どの民にも等しく居場所がある。アルクスはどの民も等しく愛する。それがアルクスの国の存在意義だった。




