エンドロール
「ちょっとあなた、ちゃんと聞こえてる?」
怪訝そうに尋ねた妻の声で、懐かしい追憶の海から思わず我に返った。
「ああ、ごめんごめん、ちょっとぼーっとしてた。何?」
「帰り道のこと。この先で事故があって渋滞してるんやって。途中で高速降りて下道で帰った方が早いかも」
「おお、マジでか。それがよさそうやな」
レストランから見える窓の外はすっかり夕闇に沈んでいる。
ここまで妻と代わる代わる運転してきたので、疲れはさほど気にならない。
けれども事故と聞くと思わず気が引き締まる。
家につくまで安全運転で行かなければ。
「疲れてない?帰りの運転代わろうか?」
私の疲労を心配してか、妻がそう言ってくれた。
自分も疲れているだろうに、ほんとうに気遣いのある優しい人だ。
「いやいや、ほんまに平気。もうあと一時間ちょっとやし、俺が運転するよ。休憩もしたし、コーヒーとガム買っていけば余裕よ」
「ならええけど」と妻はちょっと困ったように肩をすくめて笑った。
そんな妻を横目に見ながら、その隣に座っている息子の優人の方へ再び目をやった。
優人はこの春小学校を卒業し、来年度からは中学生になる。
そのお祝いもかねて、二泊三日の家族旅行に出掛けていた。
グランピングやアスレチックなんかが楽しめる施設に宿泊して、楽しい三日間はあっという間に過ぎ去った。
今は大阪にある我が家へ向けて帰っている途中で、高速のサービスエリアにあるレストランで、休憩がてらに夕食をとっていたところだった。
先刻から、優人はやけに言葉少なに押し黙って、しずしずとカレーライスを食べている。
この旅行中ずっとはしゃぎ倒していたから、さすがに疲れもあったのだと思う。
しかしその表情には、疲れに混じって、微かに切なさが漂っているように感じられた。
そんな優人の様子に気づいてから、しばしの間、私の意識は自身の幼少の頃の記憶にトリップしていたのだ。
その切なさには身に覚えがあった。
私の子供の頃、車で旅行に出かけたときには、こんな風にファミリーレストランで夕食を食べて帰るのが我が家の慣わしだった。
それにしても、旅行帰りに家族で立ち寄るファミレスに漂う、そこはかとなく切なさの香るあの趣きはいったいどうしたことか。
ファミレスというのは、子どもにとってはある種アトラクションのようなもので、私にとっては旅行における最後のイベントでもあった。
入店時にはわくわくでいっぱいだったけど、料理が少なくなるにつれてだんだんと淋しい気持ちが募る。終わりが近づいているという、焦燥にも似た名残惜しさ。
この非日常をできる限り引き延ばしたくて、わざとゆっくり食べ進めてみたり、いつまでもドリンクバーを行ったり来たりしていた。
そうやって飲んだときのメロンソーダの味は、なんだかいつもより甘酸っぱく感じられたりするものだった。
旅の帰路のファミレスは私にとってある種の儀式であって、それを通じて初めて、私は「旅が終わるのだ」という予感を肌身で感じていたように思う。
それはまるで映画のエンドロールを眺めているようで、壮大な物語の余韻めいた淡さを、幼心にしみじみと感じていたことを思い出す。
たぶん今、優人もそれと同じものを感じているのではないだろうか。
優人は神妙な面持ちで、スプーンでカレーを掬ってはゆっくりと口へ運んでいく。
時折休止を挟みながら、それを繰り返す。
そうしながら、この旅行の思い出をも丹念に反芻しているかにみえた。
楽しかった記憶をなぞって、ひとつひとつ丁寧に、名残惜しみながら味わっているように。
「まだ、もうあと少しだけ、終わらないで」という声が聞こえてきそうだ。
ふいに、幼少の懐かしい気持ちと同時に、淋しさと嬉しさの溶け合った感情がこみ上げてきた。
子供が成長していく過程で、小学校から中学校に上がるタイミングは一つの節目ではなかろうか。
交友関係もぐっと広がるだろうし、部活動もあったりして今までより忙しくなるだろう。
訊けば、優人はバスケットボール部に入りたいのだそうだ。
練習や試合で多忙になれば、こんな風に家族揃って旅行へ行くこともだんだん減っていくのかもしれない。
親としては成長を喜ばしく思う半面、さみしい気持ちがないと言えば嘘になる。
だからこそ、優人が今、家族と過ごす時間を「楽しかった」と思っていてくれていることが心底うれしかったのだ。
「優人」
呼びかけられて顔を上げた息子に、精いっぱいの愛情を込めて声をかける。
「また、一緒に行こうな」
そうだとも。
この旅行はもうじき終わってしまうけれど、私たち家族の旅路はこれからも続いていく。
まだまだ先は長い。
この先苦労も多いだろうけど、いつか本当のエンドロールがくるときまで、どうか能う限りの幸せな思い出を。
そんな私のひそやかな祈りを知ってか知らずか、優人は静かに、けれども確かに力強く「うん」と頷いた。
お読みいただきありがとうございました。