幼馴染、距離の煩悶
左目を隠した男と再会してから一週間。わたしは散々なミスを重ねながらも、変わらず〈オアシス〉の店員として働いていた。
「すみませーん」
気を抜けばぼんやりしてしまう意識の隅で、客に呼ばれる声をキャッチする。我に返ったわたしを遮り、線の細い少年店員――櫻木百が「少々お待ちください」と返していた。
「律月さん、あっちの片付けをお願いしていいですか?」
「……ごめん、ありがとう」
柔らかく笑う百に頭が上がらない。わたしの様子がおかしいことに気づきながらも、それを指摘せず客の目につかない仕事を回してくれたのだ。
今度何か奢ろう。内心で両手を合わせつつテーブルを片付ける。重ねた食器をキッチンへと運び込むと、短髪の少女――新田紗栄が洗い物をしていた。
「紗栄、これも頼んでいい?」
「……あぁ、はい。平気です」
憂鬱そうな表情には気づかなかったフリをして、わたしはシンクの横に食器を置く。さて次は、と店内を見回すと、昭人に声をかけられた。
「少し店を離れるので、他のお二人と店番をお願いします」
「わかった。どれくらいかかりそう?」
「恐らく三十分程度で戻ってこられるかと。ないとは思いますが、万一トラブルが起きた際はすぐに連絡してください」
「任せて。いってらっしゃい」
昭人を見送り、十分ほどして退店する客を見送り。店内にいるのは、わたしたち店員だけになった。
学校帰りにアルバイトしている百と紗栄を少し休憩させてやろう。彼らに声をかけようとキッチンに戻る。
「二人とも――」
「百には関係ないでしょ、放っておいてよ!」
突如、悲痛そうな叫び声が響き渡った。声の高さからして――そもそも百の名前を呼んだ時点で――紗栄のものだ。
何かトラブルでも起きたのだろうか。歩幅を大きくして、わたしは彼らに接近した。
「直接関係なくても、心配くらいするよ。だって最近の紗栄ちゃん、ずっと不安そうな顔してるから……」
「……家で揉めただけ。いつものことだし、百が心配することない」
「でも――」
「喧嘩してるとこ悪いけど、今のうちに休憩入って」
言い合いを続ける二人に割って入るように声を張り上げる。そこでようやくわたしの存在に気づいたのか、彼らは気まずそうな顔で「……すみません」と口ごもった。
「謝らなくていい。今は客がいないからよかったけど、仕事中ってことは忘れないで」
「はい……」
わたしの指摘にうなだれる二人。その表情は暗く、反省と罪悪感がひしひしと伝わってくる。
そこまで落ち込まなくても、とフォローを入れたくなってしまう。わたしは怒っていないし、彼らに伝えた通り客もいないのだ。次から気をつけてくれればいい。
さほど長くはない関わりの中で、二人が「他者に負の感情を向けられる」ことを極度に怖がっていることはわかっていた。紗栄は特に顕著で、小さなため息一つだけでもびくりと肩を跳ねさせるのだ。取り巻く環境のせいなのか、わたしが怯えられているからなのかはわからないが。
怯えられているならどうにかしたい。何せわたしは善良な一般人なのだ。ビクビクしながら仕事を続けているのは紗栄の精神衛生上よくないだろう。わたしは小さく頷き、彼女に声をかけた。……決して「怖がられているのが気に食わないから」なんて理由ではない。
「わたしでいいなら話を聞くけど。もちろん無理にとは言わないから、紗栄が決めて」
親しいからこそ話しづらいこともあるだろう。当然、ただの同僚には言えないことも。だから、彼女の判断に任せることにした。
「……本当に、いいんですか。ややこしくて面倒なだけの、どうしようもない話ですけど」
「いいよ。わたしにできるのは話を聞くことだけで、解決とか無理だしする気もないから」
事実と本音をストレートに伝える。すると、紗栄は決意を固めたように口を開いた。息を吸う音がやけに大きく聞こえる。
「両親の元へ、異能研究所から連絡が来たんです。詳しい内容はわからないけど、多分〈五家〉にも影響が出ることだと思います」
「紗栄の親に連絡が来て、どうして〈五家〉が絡んでくるの?」
脈絡のない言葉に首を傾げると、紗栄が「むしろ〈五家〉のことは知ってたんだ……あ、知ってたんですね」と呟く。
「まぁ、いろいろあったからね。それで、どうして?」
「あたしたち新田家は、代々〈五家〉の護衛を務めてきた一族なんです。中でも榛家の方々とはそこそこ縁があって、新田家に問題が起きれば榛家も無事ではいられない」
紗栄曰く、その緊張感からか一族内での諍いが絶えないらしい。それだけ研究所との関わりは緊迫するものなのだろう。
「それでイライラして、八つ当たりしちゃって。ごめん、百」
「なるほど。まぁ二人のことは当事者で解決してもらうとして。……研究所から連絡、か」
状況からしていい予感はしない。わたしは二人に不知火のことを話した。綾のことは伏せたが、あちこちで研究所の動きがあるという事実に彼らも顔を歪ませている。
「そんな……。異能者を狙っているなら、ここも……」
「安心できる場所じゃないってこと、か。あたしたちは自分にできることをするしかないですけど」
平然とした口調で会話を続けながらも、百と紗栄は揃って不安そうな顔をした。現役の高校生とする話ではなかったかもしれない。
「……まぁ、何事もなく終わればいいけど」
肩をすくめ、二人を安心させるように呟く。そうなる未来は来ないのだろうと、薄々理解しながら。