八辻綾の悪影響
綾のせい、とは。気になるものの、今のわたしに尋ねる手段はない。無言のまま肩を上下させる。
「すみません。時間、動かしますね」
声が耳に届いた瞬間、世界が動きを取り戻した。言葉通り「時間を動かした」のだろう。
じわじわと全身に温度が戻ってくる。何度か口を動かして、喉を震わせて――そうしてようやく「あ」と発音できた。
「……いま、のは……」
「予想ですが、音島さんの異能が発動してしまったんだと思います」
枯れかけた声で問いかけると、綾は眉を下げて答える。そしてわたしの右手を両手で包み込み「きっと私の異能を模倣しようとしていたんでしょう」と続けた。
「え、でも……」
わたしはもごもごと反論を試みる。きちんと異能を模倣できていれば、全身に力がみなぎるような感覚がするはずだ。しかし実際は力を奪われ――それどころか、まともに呼吸することさえままならない状態に陥った。
同じ時間操作でも、千波の異能を模倣したときはこんなこと起きなかったのに。不可解さに首を捻る。
「音島さんは『異能エネルギー』という言葉に聞き覚えありますか?」
「ある、気がする。でも詳しいことは何も覚えてない」
「では説明しますね。多分、今回の原因だと思うので」
そう言って、綾は「異能エネルギー」の説明を始めた。彼女曰く、異能を発動させるために必要な力であり、どこからか自然と湧き出てくる物質、らしい。
「異能エネルギーは空気と同じように存在しています。ただ、異能者以外には感知できないんですよ」
「……え。異能者には感知できるなら、わたしもわかるの?」
「自覚はなくても、異能を扱えるなら感知できてますよ」
微笑みながら補足した綾が話を続ける。異能者は体内に異能エネルギーを蓄積でき、それを利用して異能を発動させているのだとか。
「蓄積できるエネルギー量が、そのまま異能の強さになります。ランクが高い異能者ほど、体内の異能エネルギー量も多いってことですね」
「同じランクだったら蓄積できるエネルギー量も同じ?」
わたしは首を傾げて問いかけた。しかし、なんとなく違う気がする。
案の定と言うべきか、綾はすぐさま「いいえ」と否定した。
「人にもよりますし、異能の種類にもよる……らしいです。私は同じランクの時間操作持ちと会ったことがないので正しい話かはわかりませんが」
「そっか。それで、今回の原因は綾の異能エネルギーが関係してるってことで合ってる?」
「はい」
綾は表情を暗いものに変え、ごめんなさい、と呟く。先に説明するべきでした、とも。
「私が蓄積できるエネルギーは莫大なんです。異能を発動するときに消費される量も、他の異能者とは比べものにならないほど多いんですよ」
「なるほど?」
「そして、音島さんが私の異能を模倣しようとしたものの……エネルギー不足で失敗したんだと思います」
「あぁ……そういうこともありえるんだ」
ようやくわかった気がする。わたしの許容量を超えるエネルギーを要求され、パンクしてしまったのだろう。
何度か頷いて理解を示すと、綾はほっと安堵したような笑みを見せた。
「細かい説明をするのは初めてなので、うまく伝えられるか不安でしたが……伝わってよかったです」
「いや、めちゃくちゃわかりやすかった。綾って説明上手なんだね」
説明を理解するために働かせた頭脳を休めるように、和やかな世間話を振る。
ひとしきり話に花を咲かせて、カフェオレがすっかり冷めきった頃。わたしはふとあることが気にかかった。
「ところで、さっきの話で気になったことがあるんだけど」
「はい、何でしょう? 私に答えられる範囲であれば全部答えますよ」
こてん、と愛らしく小首を傾げる綾。あどけない笑みを浮かべる少女には酷な質問だろうか――そんな不安を抱きながら口を開く。
「異能エネルギーって、人体に悪影響が出ることはないの?」
「……」
その問いを口にした瞬間、綾の表情が消える。すぐに笑みを浮かべ直していたものの、彼女の顔には悲哀のようなものが浮かんでいた。
「そうですよね、気になっちゃいますよね……」
「……わたし、もしかして聞いたらマズいこと聞いちゃった……?」
恐る恐る尋ねると、綾は「いいえ」と首を左右に振る。聞きたくなるのもわかりますよ、とフォローしてくれたが、言いたくないことなのだろうと察するのは容易だった。
「結論から言えば、悪影響はあります。異能者と異能を持たない人だと、異能者の方が平均寿命が短いというデータも確認されているくらいですから」
「命削ってるんだ……こわ」
素直な感想が口からまろび出る。しかし綾がそれに反応を示すことはなく、どこか遠い目をして「私の場合は」と言葉を紡ぐ。
「膨大な異能エネルギーに身体が耐えきれないのか、昔はよく体調を崩していたんですよ」
「今は違うの? そんなに病弱な印象ないけど」
「以前よりはマシになった、程度ですが。影響がない範囲で発散しているので」
綾は薄く笑みを浮かべて語る。その笑みが本心からのものではないことくらい、すぐに理解できた。
「まぁ、私のことは気にしないでください。遅くなっちゃいましたし、そろそろ帰りましょうか」
「あ、うん……」
手早く荷物をまとめ始めた綾を引き留めることもできず、わたしは曖昧に頷きながら立ち上がる。内心にはもやもやと消化しきれない何かがわだかまっていた。