異能、異様、異質
「な……!」
棗が目を見開いて躱そうとする。だが、火の玉は追尾するように棗の避けた先を狙う。
「萩原さん!」
「藤原、水出せ!」
玲と淳也の叫ぶ声が聞こえる。彼らの後方で涼歌が手を伸ばしているのが見えた。その手から水が放出されるのを、スローモーションのように眺める。
もし、わたしに異能が使えたら。彼女のように水を操れたなら、こんな危機などどうということはないのに。
無力感に苛まれながらも、せめて棗を守らねばと彼に手を伸ばす。突き飛ばすのか腕を引っ張るのか、それすらわからないまま。
「……おと、しま」
棗が呆然と呟く。わたしはそれに構う余裕もなく彼の前に立とうとして――いつの間にか火の玉が消えていることに気づいた。
「え、あれ……。火の玉、は……?」
「お前が消した」
「消した……? って、どういうこと」
頭上に大量の疑問符が浮かんでいる気がする。首をほぼ直角に曲げて尋ねると、棗は「俺に聞くな」と目を逸らした。
「二人とも、怪我はない?」
「あぁ、俺は無事だ。音島が何かしたおかげでな」
「わたしも無事」
駆け寄ってきた玲に無傷をアピールする。彼はわたしの手元を凝視すると、小さく唸るような声を発した。
「何?」
「……いや、何でもない。不法異能者も取り押さえたし、あとは倉庫組が戻ってくれば一件落着だね」
玲の言葉を待っていたかのようなタイミングで、端末から葵の声が届く。どうにかなりました、と話す声は疲れこそあるものの明るい。
「お疲れさま。こっちも落ち着いたから、戻っておいで」
『はーい』
葵の声が聞こえなくなると、倉庫の方角から淳也と涼歌がやって来た。その後ろには容疑者を取り押さえる磯部の姿もある。
「悪い! まさかそんな遠くまで攻撃が飛ぶとは……なんて、言い訳にもならないな。本当にすまなかった」
「……悪かった」
二人に頭を下げられ、わたしと棗は顔を見合わせた。彼の顔には「謝られても困る」と大きく書かれている、気がする。
「頭を上げてほしい。結果的に俺も音島も無傷で済んだ。何より、後方支援と言えど競り合いの現場にいる以上、負傷する可能性も視野に入れている。謝罪は不要だ」
棗が比較的優しい声で声をかけると、二人はゆっくりと頭を上げた。おずおず、そんな表現が似合いそうな動きだ。
「しかし……」
「だが、なぁ。俺たちにも〈弓張月〉の矜持がある。被害を与えかけておいて平然と本部に戻るなんて真似はしたくない」
納得していなさそうな彼らを困ったような顔で見やる棗に、玲が声をかける。
「萩原さん、ちょっと代わって」
「電話みたいに言うな」
棗と場所を交換した玲は〈弓張月〉の二人に視線を落とす。そして幾分か硬質な声で「お二人の言い分は理解しますが」と告げた。
「あなた方に〈弓張月〉の矜持があるのなら、俺たちにも〈三日月〉の矜持があります。一般人とは違い、荒事の現場に赴く仕事であるという覚悟も」
「……」
「これ以上の謝罪は、俺たちの矜持を傷つける行為だと思ってください」
淳也の「……わかった」という言葉を最後に、彼らの表情から罪悪感が消える。それを見た玲は棗に向き直った。
「こう説得すればいいんだよ、萩原さん」
「はぁ……。お前が時折発揮する話術はどこから来たんだろうな」
内緒。玲が笑う。自然な笑みにつられてか、棗や〈弓張月〉の面々にも微笑みが浮かぶ。
「玲さーん! 棗さーん! おっとしっまさーん!」
葵の声だ。わたしたちは倉庫に視線を向けて葵たちを迎える。やって来た七彩が、棗を見て訝しむような声を上げた。
「萩原さん、前髪が少し焦げてる」
「……そうか。いや前髪が焦げる程度で済んでよかったと思うべきだな」
「まさか異能で? ……ごめん、私が結の助けを欲しがったから」
「杉崎のせいじゃない。俺たちの護衛よりも樺倉の足止めを優先するべきだ、と俺が判断したんだ」
「そうそう。何かわからないけどわたしがどうにかしたから、安心して」
責任を感じているらしい七彩に伝えると、彼女は「安心できない」と首を振る。
「何をどうやったら解決したのか詳しく説明して」
「わたしにもわからない。何か手をこう……出したら火の玉が消えてた」
手を伸ばして再現してみるも、七彩にはちっとも伝わらなかったようだ。わたしに背を向けて棗と話を始めてしまった。
足元に転がる小石を踏みつけていると、玲が近づいてくる。顔を上げると耳を貸すよう指示された。
「音島さん、本部に戻ったら役員フロアへ直行して。代表と四大幹部から呼び出しだ」
「え、わ、わかった」
わたしは戸惑いながらも了承する。四大幹部は千秋と偉そうな奴しか知らない。もう一人はそのうち玲になるのだろうが、残る一人と代表とやらはどんな人物なのだろうか。
また難癖をつけられたり、脅されたりするのかもしれない。わたしは憂鬱なため息をついた。