対面、護衛対象
本部ビル三階、会議室前。全速力で階段を駆け下りたわたしは満身創痍だ。
「律月は思ったより体力ないな。そこも鍛えないとか」
「勘弁して……」
ぜえぜえと息を切らすわたしとは対照的に、幸花は息を乱してすらいない。涼しい顔をして扉に手をかけている彼女を手で制し、何度か深呼吸して姿勢を正す。彼女はわたしの呼吸が整うまで待ち、小さく「行くぞ」と呟いてから扉を開け放った。
「失礼いたします。要人護衛隊〈新月〉より桐嶋幸花、並びに音島律月。ただいま到着いたしました」
堅苦しい……もとい、丁寧な口調で名乗りを上げた幸花に、室内の人物がゆっくりと振り向く。お待ちしてました、そう告げる声には聞き覚えがあった。
「え、玲? わたしたちが護衛するのって玲なの?」
わたしの驚愕に小さな微笑だけを返した玲は、対面に並ぶ椅子を手で示す。座れということだろうか。
椅子と玲を交互に見やり、どう動けばいいか窺う。すると、隣にたたずんでいた幸花が「失礼いたします」と椅子を引いて腰掛けた。わたしもおずおずと着席する。
「お二人が招集に応じてくれたこと、感謝しています。その上でこれを言うのは心苦しいのですが……」
玲は申し訳なさそうに眉を下げ、重々しく言葉を続けた。
「――俺の護衛はしないでほしい」
「え……?」
想像もしていなかった発言に目を丸くする。しかし、幸花は眉一つ動かすことなく「理由をお伺いしても?」と問いかけた。この落ち着きも経験によるものだろうか。それとも……。
「我々には上層部からの命令があります。明確な理由もなく職務を放棄することはできません」
「……桐嶋さんの言い分も重々承知しています。ですので、上層部には俺から話を通しておきますね」
玲は幸花の質問に答える気がないようで、こちらの反応を窺うことなく話を進めようとする。当然、わたしたちがそれで納得するわけがない。
「それで引き下がると思われているならとんだ侮辱だな。お若い当主様が何をお考えかは知らないが、アタシたちも意思のある人間だってことを忘れないでもらおうか」
先ほどまでの丁寧な口調を取り払った幸花が玲を睨みつける。張り詰めた空気をどうにかしようと、わたしは意を決して口を開いた。
「割り込んで悪いけど、ここでわたしたちが喧嘩するのってよくないんじゃないの?」
感情を乗せずに問いかけると、二人は気まずそうに視線を逸らす。わたしはさらに追撃することにした。
「わたしたちを派遣したのが上層部ってことは、玲に護衛をつける理由があるってことでしょ? いくら玲が当主だからって、簡単に話が通るとも思えないんだけど」
「……音島さんの指摘は正しいよ」
きちんと説明しないと駄目だよね。玲は苦笑して――ずいぶんと下手な笑い方だった――頭を下げてくる。
「実のところ、俺に護衛がつく理由は辻宮以外にあるんだ。その説明も含めて、場所を変えて話したいんだけど……」
構いませんか、そう聞いてくる玲の表情は暗い。わたしは幸花と顔を見合わせて、戸惑いつつも頷いた。
「……まあその、なんだ。アタシもカッとなっちまったし……悪かったよ」
玲と幸花がぎこちなく謝罪を交わす空間は、そこはかとなく居心地が悪い。雰囲気を明るくしようと、わたしは「関係ないんだけどさ」と切り出す。
「二人が丁寧な口調使ってるの気持ち悪いね」
「音島さん……」
「お、なんだ律月。喧嘩なら買うぞ?」
思ったことをそのまま告げる。すると、二人は揃って呆れたような顔をした。幸花に至っては拳を握り、こちらへ振りかざすような仕草を見せる。怖いからやめてほしい。
「ごめん口が滑った。わたしが言いたかったのは、二人とも無駄に遠回しな言い方するのやめたらいいのに、ってこと」
慌てて補足を加え、悪意がないことを全力でアピールした。幸花は「なんだよ」と苦笑し、玲は気が抜けたような笑い声を漏らす。話の流れはともかく、雰囲気がよくなったことにほっと安堵した。
「桐嶋さんは、音島さんと一緒に行動するんですよね」
「ああ。とはいえ、アタシたちも今日顔を合わせたばかりなんだが……それがどうかしたか?」
「いや……大変そうだな、と思って」
「ちょっと玲、それどういう意味」
聞き捨てならない発言を咎めるも、玲はわたしに構うことなく幸花と話を続けようとする。人のことをダシにして会話を弾ませるのは気に食わないが、二人が打ち解けられるなら今後もやりやすいだろう。次々に湧き上がる文句をぐっと飲み込んだ。
「ふふ、ごめんごめん。それじゃあ、そろそろ移動しましょうか」
玲が立ち上がるのを見て、わたしたちもガタガタと立ち上がる。どこへ向かうのかは知らされないまま、会議室を後にした。