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観月異能奇譚  作者: 千歳叶
プロローグ
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目覚めと喪失

 そろり、目を開く。目の前にいるのは長い髪の女性だ。何度か瞬きを繰り返しても姿が消えることはない。


「起きたな。身体に不調はないか?」


 淡々とした問いかけはハスキーなアルト。わたしはそこでようやく、正面の存在が幻覚ではないことを受け入れた。


「痛みはない」

「そうか。それならよかった」


 短く答えると、相手も短く返してくる。会話のラリーが続くことはなく、すぐさま部屋は沈黙に支配された。


「……着替えはそこに置いてある。私は席を外すから着替えておいてくれ」


 彼女は突然そう言い出す。あまりにも唐突な指示に理由を尋ねようとして――自分が身につけている服の惨状に気がついた。あちこちに穴が空いていて、ところどころ赤黒く染まっている。この服はもう着られないだろう。


 女性が部屋を出たのを確認したわたしはもぞもぞと服を着替えた。グレーのパーカーは少し袖が余る。

 手が隠れない程度に袖をまくっていると、部屋の外からノックの音がした。続けて先ほどの女性の声も。着替えが済んだと告げ入室を促す。


「あぁ、やっぱり少し大きいな。不便かもしれないがしばらく我慢してくれ」


 貸してくれたものに文句を言うわけがない。あの悲惨な服を着続けているよりは何倍もマシだ。


「……そんな話をしている場合じゃなかったんだ。起きて早々面倒事に巻き込んですまないが、ついて来てくれないか?」

「面倒事?」


 彼女の言葉が引っかかり、わたしはオウム返しに問いかけた。女性は頷く。


「お前と話をしたい奴がいる」

「それだけじゃ面倒そうに聞こえないけど」


 まさかその人物そのものが「面倒事」なのか? 訝しむ私に、彼女は続ける。


「話の流れによっては、もしかしたら厄介なことを依頼されるかもしれない。断ってもいいが……」


 お前の安全は保証できないな。脅すような言葉を口にしている最中も彼女の口調は淡々としている。用意された文章を読み上げているかのような、いっそ不自然さすら感じるほど平坦な声だ。


「だから先に謝っておく。恐らく、お前は面倒で厄介な事件に巻き込まれるだろう」


 すまない。何度目かの謝罪にも感情は込められていなかった。悪いと思うならそういう態度を示してほしいものだ。

 わたしは肩をすくめながら「別にいいよ」と返した。


「感謝する。ではさっそくだが、そいつの元へ案内しよう」


 颯爽と歩き出す女性に続き、わたしは部屋を後にする。長い通路をまっすぐ進み、エレベーターに乗り込んで降り、毛足の長いカーペットを踏みしめながら進んでいると。


「ここだ」


 突然、彼女が足を止めた。顔を上げた先にいたのは、女性と同じ色の艶やかな髪を緩く三つ編みにした人物。わたしより頭一つ分ほど大きい背丈から男性だと推測した。


「はじめまして、見知らぬ怪我人さん。傷の具合はどう?」


 低くしっとりとした声で問いかけてきた男性は、わたしをまじまじと観察して微笑みを浮かべる。


「な、何?」

「何でもないよ。強いて言えば、動けないほどの激痛ではないようで安心しただけさ」


 よかったよかった。彼の呟く声を聞き流し、本題を促す。


「それで、わたしに話があるって聞いたんだけど」

「あぁそうだった。それじゃあ本題に入る……前に、一つだけ聞かせてほしい」


 男性は咳払いを一つした。その途端、彼の表情が一変する。微笑が消え失せ、視線は凍てつくような冷たさを湛えているのだ。


「君は何者だ。自分について理解していることを全て説明しろ」

「え……?」


 わたしは目を見開く。この驚愕は、目の前の人物が突如態度を変えたことに対してではない。自分について思考を巡らせた結果何も思い出せなかったことに対して、そのことを目覚めてから今まで認識していなかったことに対しての驚愕だ。

 なぜ、どうして。自分の名前も出身も何一つ覚えていない。今まで拠り所にしていた「わたし」の存在が足元から崩壊していくような感覚に襲われ、気づけばずるずると床にしゃがみ込んでいた。


「……大丈夫か」


 ぼそりと呟いた女性が、一人で立ち上がれなくなったわたしを支えてくれる。彼女の手を借りて立ち上がり、男性に向き直った。


「申し訳ないけど、あなたの要望には応えられない。わたしは……何も覚えてないから」

「そうか。君の言い分は理解した」


 彼は感情の読み取れない声で言う。信じているのかいないのかもわからない。不安と疑念をないまぜにした視線を向けていると、ふっと息をつく音が聞こえた。


「なんてね。君が記憶喪失なのはわかってたよ」


 高圧的に命令してごめんね。その声に視線を向けると、彼は再び微笑みを浮かべていた。


「挨拶が遅くなったね。僕は大崎(おおさき)千秋(ちあき)、ここの幹部だ。こっちは妹の千波(ちなみ)


 男性――千秋が気取った仕草で一礼すると、真横から大きなため息が聞こえた。同時に「また軽はずみに名乗る……」という声も。


「名前はともかく、肩書きまで明かすのはどうなんだ」

「千波が警戒するのもわかるけど、相手に悪意がないならこちらも誠実に接するべきだよ」

「悪意の有無をどう判断すれば……、千秋に言っても無駄か」


 千波と呼ばれていた女性が頭痛を堪えるように頭を抱える。会話が途切れ、今まで蚊帳の外にいたわたしはようやく口を挟むことができた。


「ねぇ、千秋……って言ったよね。あんたに聞きたいことがある」

「聞きたいこと、か。推測するに『なぜ自分も把握してない記憶喪失に気づけたのか』ってところかな」


 その通り。頷くと、千秋ちあきが右手の人差し指を立てた。そして「これから話すことは他言無用で頼むよ」と指を口元に当てる。


「実は――僕、心が読めるんだ」

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