熊封波
「放置するのもなんだし、取り敢えず承太郎に持っておいてもらおうかしら。」
指で弾いた半透明のカードをうまく掴めなくて承太郎が変な踊りしてるわ。
封じた熊男が死んじゃうかもしれないから握りつぶさないように気をつけてね。
とりあえず内廊下にいた熊男は無力化できたみたいだけど、このアパートの他の住人はどうなってるのかしら。
熊男がうろついていたから見つからないように部屋から様子を伺っていただけならいいんだけど、しばらくたってもどの部屋のドアも開く気配がないわ。
仕方がないので一番近くのドアの呼び鈴を鳴らしたわ。
「反応ないっスね。」
呼び鈴の音は響いたけど何の反応もないので承太郎がドアスコープを覗き込もうとしたわ。
気をつけなさい。深淵を覗きこむときは、深淵からもあなたは覗かれているのよ。
ニーチェ先生の言葉はついつい引用したくなっちゃうわよね。
今はしょうがないことにして目をつぶるけど、ドアスコープを外から覗いたら絶対だめなんだからね。
ドアスコープって問題が多いわりに対策されてないことが多いのよね。
特に一人暮らしの女性は気を付けた方がいいわね。
部屋の中だからって安心しきっているとドアスコープ越しに盗撮されることもあるから、少なくとも内側に目隠しカバーをつけることは必須よ。
他にも対策できることがあるから気になる人は調べてみるといいわ。
「姐さん、さっきの熊みたいのが中にいるっス。」
あら、そうなのね。
ということは既にこのアパートの住人は全員怪物化させられちゃったのかもね。
「廊下に出てきそうかしら。」
「どっちかっていうと待ち伏せしてるっぽくて自分から出てきそうにはないっスね。」
待ち伏せって私たちが鍵を開けられるとでも思ってるのかしら。
スキルを使えばできなくもなさそうだけど…鍵、そういうことね。
怪物は鍵の開け閉めをするっていう行動というか発想自体が失われているのかもしれないわね。
もしかしなくてもさっきの熊男はオードリーの異文化交流の相手で、きっと鍵を使えず部屋に入れなかったから廊下にいたんだわ。
他の住人は部屋にいる時に怪物化して逆に鍵を開けられず、さらに鍵が開いてたとしてもドアを開けられなくて部屋の中にいるしかないのよ。
って考えている間に承太郎がドアノブに手を掛けてるわ。
やたらと突っ走るわね。
「姐さん、なんか勝手に鍵開いちゃったみたいっス。」
どういうことかしら。
誘導されているのかしら。誰に?
中にいる熊二号じゃないわよね。
それができるくらいなら承太郎がドアノブに手をかける前にやっておけば色々選択肢はあったはずだもの。
ふうん。
取り敢えず誘いに乗っておこうかしら。
「承太郎、合図したらドアを開けなさい。くりりん、ダブルでいくわよ。瑠奈は念のため後ろを警戒しといて。」
「はいっ。」
「りょ!」
三から指折りカウントダウンして承太郎にドアを開けさせる。
部屋の中にいた熊怪人に対してくりりんとの二人がかりで目眩ましの技を喰らわせるとさっきの熊男と同じように床を転げ回るので呆気なくカード化することに成功したわ。
カードを拾ってから部屋の中を少し観察させてもらったけどありきたりな男性の部屋で特に変わったところはなかったわね。
何かしら。
私、別に清純派を売りにしてるわけじゃないからそれなりに男性の部屋だって見たことあるわよ。
そりゃあ弟の以蔵の部屋が一番のモデルケースであることは否定しないけどね。
そんなことはどうでもいいわ。
思ってた通り、この一件の首謀者にしろダンジョンにしろ建物には見える限りの部分は何も手を加えていないみたいだから、まず住人を標的にしてるのは間違いなさそうね。
なら、その住人を私が全部カードにしたらどうなるのかしら。
確かめてみる価値はありそうね。
これからやることを三人に説明すると「ほらね」「能美先輩は正しかったの」「どこまでもついていくっス」なんて言っているんだけどどこか反応がおかしくないかしら。
無事な住人がいるか確認する必要もあるから一階から順番に全部の部屋を開けていったわ。
途中、炊飯器のあった部屋であの技を試したのはとても楽しい経験だったわ。
熊男がぐにょーんって伸びて渦を巻いてきっちり炊飯器に納まった時の爽快感は私の人生の中でも三本の指に入るわね。
原作で言われているのは、相手の自由を奪って渦に巻き込むまでは割と簡単なんだけど炊飯器に入れるのが難しいのよね。
それがうまく制御できて一回で成功したんだから、これは最高に気持ちよかったわ。
ちなみに封印に使用した炊飯器はそのまま部屋に置いてきたわ。
もちろん大魔王封じのお札は部屋にあったもので簡易的に作成させてもらったわよ。
ちゃんとしたお札を作ろうとしてくりりんと瑠奈にやんわり止められたのは内緒よ。
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