歩くか止まるか
特別対策室関係の人の前で私のことを旦那様と呼ばないのは公人として当然だと思う。
なら、態度も最後まで貫いてほしいと思うのはいけないことだろうか。
私にあーんをさせた後に残りのイカ焼きを食べるのを見ている安藤さんは半ば恍惚としているようだった。
文字にするなら「旦那様と自分の体液が入り混じっているこの瞬間が最高」とでも言わんばかりの、って自分でも何言ってるかよくわからんが当たらずも遠からずだろう。
食べ終わった後もさりげなく私のトレーと箸を片づけようとするので、いち早く気づいて自分でゴミ箱に処分したのだった。
安藤さんは舌打ちこそしなかったが、かなり残念そうな顔をしていたので私にあーんした箸は恐らくというか間違いなく安藤さんの懐に大切に保管されているのだろう。
これ以上、変な収集品を増やされないように極力気を付けるようにしよう。
取り敢えず今日のところは大阪ですることもないので、東京に戻るために拠点に向かっていたところでちょっとしたことに遭遇した。
「ババア、邪魔やねん。どきや。」
エスカレータを駆け上がってきた若い男が私たちを追い抜いていき、その先で大きな荷物を背負っている女性も追い抜こうとしてぶつかったのだ。
いるよね、こういう人。
昨今、エスカレータを歩行禁止にしようという動きが広がっているようだが、そもそもそんな「歩くな」「歩かせろ」の二元論で語るべきものではないと思うのだがいかがだろう。
ちゃんと周りに気を配って行動すればいいだけの話だ。
私が昨年末に退院した後はしばらく松葉杖をついていたのだが、そんな私にもお構いなしにぶつかってくる人はいて結構な恐怖を感じたものだ。
エスカレータで後ろから無言でぶつかってでも追い越そうとする人に言っても無駄かもしれないが、「事故を起こしてから後悔しても遅いよ」と言ってやりたい。
そもそもエスカレータの片側を空けて歩けるようにしたのは第二次世界大戦下のイギリスが最初と言われている。
戦時体制下で社会全体で効率化しようという動きからの配慮だったようだ。
その後、欧米各国を始めとして世界各地に同様の習慣が広まり、日本にも1960年代後半に大阪、1980年代に東京で見られるようになったらしい。
せっかちな大阪で先に広まったのがもっともらしいというかそんな感じだ。
ちなみに大阪では右側に立って左側を空けるが、東京ではその逆で左側に立って右側を空ける。
そして、なんでそういう風習が根付いたかに立ち返っていただくとお分かりいただけるように、急いでいる人に配慮したからだ。
高速道路で二車線以上あるところで走行車線と追い越し車線があるように、ゆっくり歩かないで行く人とちょっと急いでるから先に行かせてもらうね、をできるようにしただけだ。
なのに、思い違いをする人はいくらでもいるわけで、「空いてるんだから普通に歩いていいんでしょ」、がいつの間にか「なんで空いてねえんだよ、ちゃんと空けとけよ」になり、目の前の男のように「邪魔だからどけ」って自分の都合だけを優先する迷惑者になり下がるわけだ。
何も声をかけずにむしろわざとぶつかるようにして自己主張するような歩き方はやめた方がいいよ。
謙虚な気持ちになれとまでは言わないから、せめて思いやりの心は忘れないでほしい。
一言、「ちょっと通るね、通してね」と言えば済む話だから。
そもそも、駆け上がるぐらいに急いでるんなら階段が併設されてるところはそっちを通るべきだとは思うけどね。
そんなこんなで昨年には埼玉県でついにエスカレータでの歩行を禁止する条例が施行された。
しかし、別に違反しても罰則はないので、どれほどの効果があるかは甚だ疑問だ。
歩行禁止にする理由も薄いというか弱いというか言い訳みたいになってるので、そんな無駄な条例作るより別のことにお金も時間も使った方がいいと思う。
そして、目の前で起きた出来事に関しては私の前にいた特別対策室の二人が直ぐに動き出していた。
が、出鼻をくじかれることになった。
「誰がババアやねん。こーんな綺麗なお姉さんつかまえてアンタの目は節穴か。ちゅうか、勝手にぶつかってきといて邪魔ってどういうことやねん。アンタぐらい細かったら十分ぶつからんでも通れたやろが。ははーん、さては新手のナンパか。そか、そういうことならしゃーないな。ほれ、この荷物持ち。しっかり持ってな。あそこのミックスジュースでも御馳走してもらおか。しゃきしゃき行くで。はよ来んかい。」
お姉さんというにはちょっと無理がある…いえ、お姉さんですね。捲し立てられた若い男はほとんど何も言い返すことができずにフレッシュジュースを売っているスタンドバーにドナドナされていった。
私たち三人は、茫然とそれを見送ることしかできなかった。
大阪のオバ…お姉さんパワー恐るべし、というところをまざまざと見せつけられてしまった。
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