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   (その十八)どうでもいい、なんて嘘です

「十分です。もう、嘘なんか吐かなくていいんです」

 断りも無く職員室に入り、天下は涼の隣で足を止めた。これは一体どういうことだ。何故天下が現れる。涼は喉でつっかえる言葉を無理やり押しだした。

「鬼島、どうして」

 天下は少し困ったように目を細めた。酷く優しげで、それでいて寂しさが混じった微笑だった。諦めとは違う。自らの手で突き放すことで終わりにする静謐な決意――それはいつぞや、鬼島氏に見せたものと酷似していた。

「鬼島君、どういうことですか?」

 硬い声で訊ねる学年主任。天下は向き直った。

「渡辺先生は庇っているだけです。さすがに校内で色恋沙汰はマズいと思われたんでしょう。だから必死になって隠そうとしたんです」

 何を言っている。

 涼は握り締めた自分の手がじっとりと汗ばむのを感じた。まさか、この場で全てをぶちまけようというのか。振られた腹いせに佐久間達の件を暴露しようと。

 口を塞がねば。涼は咄嗟にそう思ったが、どうしようもできなかった。混乱しているためだ。目の前にいる青年が理解できない。彼は今、民子と同じように佐久間達を吊るし上げようとしている。涼の中では卑怯と分類されることだ。

 なのにどうして、天下から目が離せないのだろう。

 前を見据える天下の横顔には凛々しさがあった。何ものかに挑もうとする強さがあった。

「それは、一体――」

「こういうことです」

 天下は腕を取るとおもむろに唇を重ねた。反射的に引こうとした顎に手を当て、これ見よがしにキスを深くする。

 当人は勿論、周囲をも「茫然」の一色で染め上げてようやく天下は唇を解放した。悪びれる様子は全くない。

「な……っ」

 学年主任の顔がみるみる内に紅潮する。

「何をしているんです!?」

 涼は言葉も無かった。打ちひしがれる思いだった。天下の意図を察したからだ。同時に自分の矮小さが思い知らされる。覚悟と口にしておきながら、結局自分は何も懸けてはいなかったのだ。

「見ての通りです」

 賢い方法とは言えなかった。天下の取った手段は最善とは程遠い。優等生が出した結論にしてはお粗末なものだ。愚かで。本当に愚かで、でも間違いなく必死だった。彼は文字通り捨て身で護ろうとしている。涼自身でさえ捨て去ろうとしたものを、だ。

「俺が、彼女と付き合っているんです」

 教職員の前で天下は宣言した。微塵の迷いもない。嘘を吐いているようにはとても見えなかった。とんだ似非優等生だ。涼は泣きたいような笑いたいような自分でもわからない衝動に駆られた。

 やめろ。そこまでしてもらう理由がない。そんな価値は自分にはない。

 叫び出したいのに声にならなかった。生徒に庇ってもらう自分が情けなくて、苦しくて、恥ずかしくて、いたたまれなくて、でも嬉しいのだ。天下に申し訳ないと思う一方で、見捨てられなかったことを例えようもなく喜ぶ自分がいる。

(あー、でも……)

 憐れみを込めて涼は遙香を見た。自業自得とはいえ可哀想に、顔を真っ赤にしながらも必死で涙を堪えている。

(セクハラだよな、これ)

 教師陣数名の前で天下にキスされた遙香は、ある意味被害者とも言えなくもなかった。


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