(その十五)大人には大人の事情があります
「二言目には教師だ生徒だ。ていのいい言葉並べて逃げやがって、結局あんたはどうなんだよ」
不貞腐れているような、不機嫌そうな、なんとも表現しがたい険しい面持ちで訊ねた。
「俺が、嫌か?」
「対象外なんだよ。好きも嫌いもない。興味がないんだから」
「嫌かどうか聞いてんだ」
返答に窮していたら、やたらと得意げに天下が顔を覗き込んできた。期待に満ちた眼差しが気に障る。
「じゃあ好きか?」
「いや、それはない」
即答。しかし天下は怒るわけでもなく鼻を鳴らした。
「好きでもない、興味もない生徒を自宅に上げたりするのかよ。だとしたら、とんだ悪女だぜ? あれだけ思わせぶりな事しておいて、期待させて、カルメンだってそこまでしねえよ」
「気を遣っているんだ。これでも教師だからな。繊細な少年少女の心を傷つけないように、何事も穏便に済ませようと思っていたんだ」
「にしては、上手くいってねえのな」
何の事を指しているのかは明白だ。佐久間達の件も破綻寸前。どんなに上手く取り繕ってもどこか綻びはある。民子には半ば脅迫まがいの手段で口止めをしたが、いつまで続くかはわからない。それに危機感のないバカップルのことだ。二人の軽率な行動を気に留めている者が他にいないとは限らない。
「先生、またあの二人のことを考えてますね」
天下の口調は怒りを通り越して呆れていた。
「君に責められる筋合いはない」
「責めてませんよ。でも、約束は守ってくださいね」
実際に模試を受けてもまだ自信を喪失していない。その図太さに涼は開いた口が塞がらなかった。百なんて生ぬるい。五十位以内にしておくべきだったか。
「わかってる」
「俺のこともですよ」
「何回考えても答えは一緒だけどな。迷惑で面倒なだけだ。お互いに」
「またそうやって立場を持ち出す。卑怯ですよ、先生」
卑怯とは心外だ。こっちはどう事を収めようかといつも考えているというのに。苦労も知らないで好き勝手やりやがって。天下も、佐久間も、遙香も、みんな勝手だ。
「立場をわきまえずに動ける君がうらやましいよ」
「あんたが教師の職にしがみついてるだけだろ」
元旦にも同じことを言われた。教師面するな。そんなに良い教師でいたいのか。耳の痛い言葉だ。生徒と教師の交際に反対していながらも手を貸している中途半端さを、天下は軽蔑している。
生徒に嫌われても間違いを正すのが教師の役目だ。その点、涼がやっていることはただ佐久間と遙香を甘やかしているだけなのかもしれない。
では、どうしたらいい。引き離すこともできず、かといって校長に報告することもできない。仮にも生徒だ。見捨てられない。
「仕方がないだろ。私から教職を取ったら、何も残らない」
「なんでそんなにネガティブになるんだよ」
天下が苛立たしげに頭を掻きむしったその折だった。
「渡辺先生」
酷く慌てた様子で恵理が呼ぶ。
「こんなところにいたんですか」
涼は努めてさり気なく天下から離れた。天下が不快に思うのも知っての上だ。誤解を招く行動はできるだけ控えたかった。
「何かあったんですか?」
「至急、職員室まで来て下さい」
それだけで何の説明もない。つまり生徒の前では言えないことなのだろう。涼の胸に嫌な予感がひしめいた。
「わかりました。すぐ参ります」
しかし逃げる選択肢などあるはずがない。涼はどうしようもなく教師だった。それ以外にはなれなかった。