(その十)八つ当たりも同じくらい醜いです
小芝居から降りる旨を伝えると、佐久間は呆けた顔になり、数拍後にようやく意味を理解して狼狽した。
「ちょっと待って下さい、リョウ先生」
「ええ、待ちますよ。あと何日ですか? 別れる理由も考えなくてはなりませんね」
適当にあしらって、涼はスタンウェイの鍵を開けた。昼休み。次の五限は普通科の音楽の授業。鑑賞室は涼の貸し切り状態だ。密談を行うには丁度いい。
「それは、鬼島のせいですか?」
涼とて佐久間が素直に引き下がるとは思ってはいなかった。が、食い下がる部分が予想と違った。何故いちいち天下が出てくるのだ。
「彼は関係ありません」
「失礼ながら彼とあなたは、ただの生徒と教師には見えませんよ。元旦の時だってそうですし、先日職員室で呼び出されましたよね?」
「佐久間先生には関係のないことです」
「それでは納得できません。おかしいではありませんか。どうしてそんな急に……」
急ではない。限界は来ると最初からわかっていたことだ。きっかけは元旦の一件だが、前々から感じていたことだ。小芝居がいつまで続くはずがない、と。
「鬼島が言ったんですか? だから止めるんですね?」
佐久間は決めつける。原因が自分にあるとは微塵も思っていない口ぶりだ。勝手に三文芝居の舞台上に引きずり出しておいて、降りることすら許さない。なんともいい御身分だ。
「何度も言わせないでください。鬼島君は関係ありません」
「しかし、彼はあなたに好意を寄せていますよ?」
そんなこと、お前に言われなくてもわかってる。涼は怒鳴りそうになった。他人の色恋を案じる暇があったら自分の事をどうにかしろ。
「ご安心ください。私はどこぞの後先考えない教師とは違って、生徒に応じたりはしません」
怒鳴りこそはしなかったものの、口調は完全に喧嘩腰。苛立ちのままに涼は言葉を紡いだ。何もかもが厭わしかった。
「まだわからないんですか? 迷惑なんですよ。頼んでもいないのに踏み込んできて、振り回して、どうにもならなくなったら私に押しつける。鬼島も勝手ですが、あなたはそれ以上に勝手です」
「私は……」
「『私は』『私は』って自分のことしか考えてらっしゃらない。隠すのには一生懸命なようですけど、万が一バレた時のことを考えているんですか。最終責任は教師が取るしかないんですよ? なのに渡辺先生に問い詰められた時だって、黙ってらっしゃるだけで自分からは何一つしようとしない。隣で矢沢さんが責められていても助け舟すら出してやらない。本気で生徒と恋愛するんだったら――同僚を巻き込んで恋愛するくらいなら、自分の職を懸けて庇ったらどうなんですか」
半分以上八つ当たりだ。わかってはいたが止められなかった。弁明をするなら、これまでの鬱憤が募っていたのだ。天下といい、佐久間といい、自分の想いを貫くと言えば聞こえはいいが、結局は周囲を全く顧みてないだけだ。
「覚悟もないくせに他人を巻き込まないでください」
仮に、天下とそういう関係になったとしても、発覚した際に咎められるのは教師である涼の方だ。間違いなく免職。それだけならまだいい。無責任な教師を雇った学校はどうなる。学校を信頼して預けた天下の父は? 何よりも、教師とデキていたと一生後ろ指差される天下は一体どうなる。彼がこれから歩むであろう未来は。
考えて、考えて、堪らなくなるのだ。どうしようもなく惨めになる。
(……どうして、私ばっかり)
遙香も佐久間も天下も、涼には理解できなかった。涼があれほど望んでも、願っても手に入らなかったものを掴んでおきながら、どうして簡単に投げ出そうとする。
――必死に護ろうとしている自分が馬鹿みたいではないか。