(その五)盗み聞きはいけません
限界なのだろう。天下だけではなく、この状況も。半年前に後先考えずに始めてしまった嘘は、色々なものを巻き込んでしまった。学年の節目を迎えようとしている今が、潮時なのかもしれない。
すなわち、嘘を吐き続けるか、それとも終わりにするか。
「前回の全国模試、何位だった」
うつむきがちだった天下が探るように見てきた。質問の意図をはかりかねているようだ。
「去年の五月にやったんだろ? 学内ではトップだったそうじゃないか」
「全国相手じゃそうもいかねえよ。確か、四百五十……六十くらいだったか? あんま覚えてねえ」
意外に素っ気ない反応だった。多少なりとも胸を張れば、可愛げがあったものを。全国で四百位台とくれば国立大だって十分合格圏内だ。しかも天下は成績を維持している。当然、学力も上がっている。天下が模試当日に急病で倒れるか、突然変異とかで天才が異常発生しない限り五百位以内は確実と見て間違いない。
「百位以内」
それを考慮して条件を設定する。実際には不可能だが、そうは思えない――手が届くように錯覚してしまうような順位を。
「今度の全国模試で百位以内に入ったら、君の言う『ふざけた小芝居』をやめてもいい」
途端、天下の目が輝いた。
「本当ですか?」
「これでも教師だ。生徒に嘘は言わないよ」
「別れるんですよね?」
あまりの天下の喜び様に涼の良心が痛んだ。仕組んだこととはいえ、ここまで期待させてしまうと後の落胆が怖い。
「百位以内だからな。百一位じゃ駄目だからな。それと付き合うふりをやめるだけで、君と……どうこうなるつもりはない。勘違いしないように」
念を押しても天下の笑顔が曇ることはなかった。
「わかってます」
結果を楽しみにしてください、とまで断言する始末。話が終わるが否や鞄を背負って指導室を後にする。この変わり身の早さ。涼は茫然と見ている他なかった。
「百位以内になったら、先生も信じてくれますよね」
「何を?」
扉の取っ手に手を掛けた状態で、天下は振り返った。
「俺が本気だってこと」
喰えない優等生スマイルで付け足す。
「あと、別れるついでにもう一度よく考えてくださいね。俺、結構いい物件だと思うけど?」
その自信の根拠はなんだ。問う間も与えず天下は退室した。まるで勝利が決まっているかのような態度に、涼の不安は掻き立てられた。まさか。いや、いくら学年トップでも全国百位以内は無茶だ。この学校始まって以来の快挙だぞ。無理無理……とは思うものの、懸念は消えなかった。
しかし、賽は投げられたのだ。後戻りはできない。
(それに付き合うと約束したわけではないんだし)
万が一、もしも奇跡が起きて天下が百位以内に入ったら、自分も潔く手を引こう。結論付けたところで涼は給湯室へ繋がっている方へと向かった。可能な限り足を忍ばせて、だ。扉にはガラスの小窓がついており、中を覗けるようになっている。無論、こちら側からも。
涼は慎重に扉に足を引っ掛け、一気に蹴り開いた。見下ろし、艶然と微笑む。
「奇遇ですね、渡辺先生」
中途半端に屈んだ状態で渡辺民子は目を剥いていた。