(その四)広い心で受け止めましょう
「佐久間」
『先生』をつけろ、と押し問答を繰り返している場合ではなかった。
「まさか、さっきの全部?」
「あいつ間抜け面さらして固まってたぜ」
涼は開いた口が塞がらなかった。どんなに天下の事を取り繕っても煮え切らない態度だった佐久間を思う。てっきり元旦の件を引きずっていたのかと思いきや、とんでもない。佐久間が立ち直るよりも早く天下は追撃のストレートを食らわしていたのだ。
「どうしてまた事をややこしくするんだ」
周囲には優等生と信じられ疑われていない。そんな天下の暴言を相談できるのは涼しかいなかったのだろう。ほんの少し佐久間が哀れに思えた。
「ややこしくしているのは先生です」
持っていた成績表を取り上げられる。目の前には思い詰めた顔の天下。
「好きです」
彼から告白されたのは一度や二度じゃない。が、今回は特に真情を吐露しているかのように真剣そのもので、誤魔化すのは不可能のように思えた。
「私、断ったよな?」
「でも好きなんです。このままじゃ勉強も手につきません」
それは大問題だ。
しかし残酷なことを言えば、好きになってくれと頼んだ覚えはない。恋に現を抜かすのは自由だが責任は自分で取ってもらわなくては。
「君は私に自分の職を賭けて、恋心とやらに応じろと要求している。少し、身勝手過ぎやしないか?」
天下は反論しなかった。佐久間と遙香の件を間近で見てきたのでリスクは十分理解している。
「確かに、君は本気かもしれない。真剣に考えているかもしれない。でもそんなことは周囲の人間には見えないんだ。ただの高校生と教師の火遊びにしか思われない」
「他の奴らなんか」
「周囲を顧みない言動。それでは佐久間先生と一緒じゃないか」
もともと、聡い生徒だ。もし天下が大人だったら自分の想いに折り合いをつけることもできただろう。そして子供だったなら、もっと駄々をこねることもできた。佐久間と遙香の関係を盾に交渉することだってできたし、優等生であることを利用して白紙答案を出すなどリスクは高いが効果的に迫ることだってできた。
そのどれもできないのは、天下が大人と子供の狭間にいるからだろう。彼は卑怯な手を使うには若過ぎて、なりふり構わず動くには大人になり過ぎていた。情熱だけで解決できると信じられるほど、天下は子供ではなかったのだ。
「……不公平だ」
押し殺すような呻き声が漏れた。
「なんで、あんたなんだよ。彼女のふりなんて生徒じゃなきゃ誰でもいいじゃねえか。俺は、あんただけだと思ってるのに、どうしてっ」
苦しげな表情で天下は吐露した。お門違いだと知りつつも責めずにはいられない。
「あんたが佐久間と付き合ってんなら、俺もここまではしなかった。でもな、自分にとって一番だと思ってる奴を代用品扱いされて黙ってられるかよ!」
唐突に、涼は既視感を抱いた。幼い頃の苦い記憶が蘇る。
両親なんてウザいだけ、と公言してはばからなかったクラスメイト。悪口を黙って聞いているだけの自分。口を開かなかったのは、気を緩めたらすぐにでも言葉が出てきそうだったからだ。そんなに嫌なら。
そんなにいらないのなら、私にちょうだい。
自分が一生かかっても手に入らないものを手にしていながら粗雑に扱う級友。当然と受け止める周囲。一番忌々しいのは「そんな事」をいちいち気にする卑屈な自分だ。親がいないから何だ。級友の言葉尻を捉えて八つ当たりするなんて。それでも、思わずにはいられなかった。どうして、と。
それだけに、涼は天下を無下にすることはできなかった。
「……わかった」
ため息と一緒に言葉は出た。