(その三)反抗期です
いつから自分はお悩み相談員になったのだろう。進路指導室の椅子に腰かけながら涼はそんなことを思った。
会議があるとかで進路相談室は貸し切り状態だ。給湯室を挟んで隣は職員室。場所が吉と出るかどうかはわからない。が、さすがの天下もすぐそばに教師がたむろしている職員室があるのに無茶はしないだろうと見越しての選択だった。
「それで、相談というのは何だ」
涼はぞんざいに口火を切った。
「受験に音楽が必要になったのなら忠告しておくよ。無理だ。せめて一年延ばしな」
「あんたって結構、裏表激しいよな」
「君にだけは言われたくない」
人目がないのは涼にとっても好都合だ。生徒だろうが遠慮なく叩き潰せる。気概を感じ取ったのか、天下は薄い笑みを消した。
「つまるところは勉強の相談です」
「いくら担当科目でも『六』にはできないからな。評価制度への抗議なら、もっと偉い奴にやってくれ」
「成績じゃねえ。勉強だって言ってんだろ」
違いがよくわからない。全てとまではいかないが、大方、勉強の度合いは試験に反映され、試験の点数は成績に反映される。残る授業態度の要素も天下は十分以上に満たしていたはずだ。何を相談する必要がある。
天下がスポーツバッグから取り出したプリントを突きつけた。涼は腕組みしたまま一瞥する。
「何だこれ。自分がいかに優秀かというアピール?」
思わず皮肉が口を衝いて出るほど、天下の成績は抜群だった。二学期末試験も中間も、そして一学期も学年一位。一年次となんら変わらない優等生ぶりだった。
しかし本人は渋い顔をした。
「落ちているんですよ」
「どこが。ずっと一位じゃないか」
「偏差値」
天下が指差す先には偏差値グラフがあった。相も変わらず高水準を維持しているものの、かすかに下降の傾向がある。
「あのなあ……」
涼は額を片手で押さえた。
「君は変わらず九十点台を維持している。皆はその下の方で頑張っている。で、頑張った結果、学年の平均点が上がる。しかし君が取れる点数の上限はあくまでも一教科百点。それ以上は無理。よって、上がった平均点の分、君の偏差値は多少下がらざるを得ない。つまり――ものすごく当たり前のことじゃないか」
理路整然と言ってやれば天下は口をヘの字にした。
「今度、模試があるのは知ってますよね。さっき佐久間と話してましたから」
「佐久間先生、です」
「その佐久間に次の模試では前回以上の結果を出すように言われたんです」
「だから『先生』をつけなさい」
蛇に怯えながらも蛙は蛙なりに職務を果たしたらしい。
「それで?」
「いくら教師としても男としても、それ以前に人間としても尊敬できないし、むしろいいところを探す方が難しい野郎でも、教育委員会が教師と認めた以上、教師だ。だから俺も優等生らしく、先生の言うことに従って善処はしようと思います。思いますが、俺自身問題を抱えていますので解決するまでは、無理です」
「へえ」
天下の成績表を手に取り、涼は気のない返事をした。音楽科教師には縁のない試験結果表。平均から前回との差まであらゆる分析がなされている。
「――と、言ったんです」
「なるほど」
よくもまあここまで点数が取れるものだ。どんな勉強法なのだろう。ノウハウを教えていただきたいものだ。そこまできてようやく、涼は成績表から顔を上げた。
「……誰に?」