六限目(その一)偽善でもやらないよりはマシです
三学期が始まってから涼は慈善活動に勤しむようになった。
具体的にはこうだ。朝は最寄駅で佐久間と合流。二人で校門をくぐり、職員室まで向かう。これを週に二回。時間的余裕があれば人目のつく学生食堂などで一緒に昼食を取ったりもする。無論、佐久間の奢りである。
深く考え過ぎたのだ。涼は自身に言い聞かせた。彼女のふりなど大したことではない。オペラだと思えばいい。舞台は学校、観客は噂好きの教師達と生徒諸君。上演時間は午前七時から午後の六時まで。途中休憩あり。
しかし肝心の上演期間は決まっていない。次の演目に移るのはいつなのか、いまだに目処が立っていなかった。
「睨まれるんです」
と、放課後廊下でばったり出くわした佐久間は泣きついてきた。
「蛇にですか?」
「私は蛙ですか。違いますよ」
同じようなものだろ。お前が動けなくなる度に誰が助けてやっていると思っているのだ。いっそひと思いに呑み込まれてしまえ。涼は佐久間から手渡されたプリントを眺めた。
話の発端は一月下旬に行われる全国模試にあった。来年の受験生である高校二年生を対象としたもので、全学科の生徒が強制的に受験させられることになっている。全国平均等も当然ながら出てくるわけで、学校としては一つでも高い順位、得点が欲しい。
で、そうなると必然的に名前が挙がるのが、去年の模試での成績優秀生徒達――その中に鬼島天下はいた。学内トップ。全国でも五百位以内。やはり奴は化け物だ。担任の佐久間もさぞかし鼻が高いだろう、と思いきやそうでもなかったらしい。
「今年に入ってから射殺さんばかりに睨んでくるんです」
「授業中もですか?」
「さすがに、ずっとというわけではありませんが……」
佐久間は言葉を濁した。
「黒板に文字を書いている時に悪寒が走るんです。思わず振り返ると鬼島が私を親の仇とばかりに睨んでいるわけでして」
仇は仇でも恋仇だがな。天下本人に言わせるなら。
「授業妨害をするわけでもボイコットするわけでもないのでしょう?」
「まあ、そうですが」
「もともと眉間に皺寄せる癖がありますからね。寝不足とかで目つきが悪くなっているだけではありませんか?」
佐久間は得心がいかないようだ。訝しげに首をかしげる。
「リョウ先生は、鬼島と親しいんですね」
ようやく涼は佐久間が何故こんな話題を持ち出してきたのかを悟った。正月での天下の豹変ぶり。優等生面をかなぐり捨てた態度を怪しむなと言う方に無理がある。
「ご自分と一緒にしないでください」
一段階低い声音で制しておく。
「そんなことよりも、どうするおつもりですか? 渡辺先生はまだ疑ってますよ」
強気な渡辺民子の姿勢を思い出し、涼は気が滅入った。知らないの一点張りで窮地は脱したものの、根本的な解決にはなっていなかった。
「疑いを差し挟む余地のない証拠を突きつけられればいいのですが……」
思案にふける佐久間の横顔。涼はきっかり三秒眺めて無理だと断じた。絶対無理嫌だ。だいたい、そんなことをしようものなら遙香に抹殺される。