(その十二)年中無休なのです
何はともあれ、おせちを平らげ正月の特番を目的もなくだらだらと観て――そこまでは良かったのだ。今年もこんな感じに平穏無事に過ぎればいいなあ、と涼が呑気に思った時にケータイが鳴った。メールならば後回しにするところだが、あいにく電話だった。
「佐久間先生?」
液晶画面に表示された名前に涼は目を見開いた。天下もまた過敏に反応。怪訝な顔をする。
「何の用だよ」
「私が知るわけないだろ」
とりあえず通話ボタンを押す。
「明けましておめでとうございます。何か御用ですか」
『あの、今……どこにいるんですか?』
間違いなく佐久間の声。が、涼は違和感を覚えた。いつになく声が堅い。
「どうかなさったんですか?」
佐久間は言葉を選ぶように控え目に言った。
『今、たまたま矢沢さんと渡辺先生に逢いまして……』
すぐさま涼は状況を察した。佐久間の言う『渡辺先生』とは英語の渡辺民子。そして、一人ならばともかく学校関係者二人と偶然会うことはまずありえない。
「矢沢さんと会っている現場を渡辺先生に捉えられた、ということですか」
『……はい』
「そんでもって咄嗟に私と一緒に来ていることにした、とか?」
『その通りです』
「今もそこに渡辺先生がいらっしゃる、と」
蚊の鳴くような声で肯定する佐久間。涼は頬がひきつるのを感じた。新年早々とんでもない事態を引き起こしやがったよ、この迷惑カップル。
『大変申し訳ないのですが……』
駅構内にあるファミレスの名を挙げる。十五分もあれば行ける場所だ。涼は目を閉じた。行きたくない。面倒に巻き込まれる。誤魔化せる自信もない。
しかし、投げ出したくはなかった。関わると最終的に決めたのは自分自身なのだから。
「二十分時間を稼いでください」
これから為すべきことが次々に浮かぶ。涼は一息ついて目を開けた。
「いい大人がはぐれた、というのも信憑性がありませんから、私が待ち合わせに遅刻したことにしましょう。そこをたまたま教え子の矢沢さんが見かけて、待ちぼうけを食っている先生の暇つぶしに付き合ってあげていた。まあ、立ち話もなんですから、とりあえずそこのファミレスに入って――それで矛盾しませんね?」
『はい。大丈夫です』
「では、それで話を合わせます。ぶっつけ本番ですがやれるだけやりましょう」
一つだけ意地悪く付け足しておく。
「あと、失敗した時のために辞表を出す覚悟を決めておいてください」
『え、先生……待っ』
皆まで言わせず通話を切った。ハンガーに掛けておいたコートを手に取り、床に置いた鞄を持つ。財布を始めとする最低限の支度はもうできている。
「琴音ごめん」
「いってらっしゃーい」
物わかりのいい琴音は苦笑しつつも承諾した。
「でも私に謝るより、彼に謝った方がいいんじゃないの?」
琴音が指差す先には不貞腐れた顔でこたつに肘をつく天下。この件に関しては非常に物わかりの悪い奴の存在を失念していた。
「あー、えー、つまりだな」
言葉を濁したところで無意味だ。そもそも何故弁明しなければならないのだ。正月にどこで誰と会おうが涼の自由のはずだ。
「ちょっと行ってくる。君もそろそろお暇しなさい」
「なんで年明け早々連中に振り回されなきゃなんねーんだよ」
「教師は二十四時間年中無休だと何回言わせるつもりだ」
天下は不機嫌そうに押し黙った。何も口にしなくても言いたいことはすぐにわかる。ものすごく不快、だ。ため息つきたいのをこらえて涼は玄関へ向かった。
「……伊達巻、ご馳走様」
もう少しでいい。まともなことを言えたら何かが変わっただろうか。駅まで歩きながら涼はそんなことを考えた。意地っ張りだと琴音は言った。しかし涼は別に嘘をついているつもりはない。素直になれと言われても、本心を隠している自覚がないのだからどうしようもなかった。