(その六)だから鴨であることを忘れてはいけません
ごーん。除夜よろしく重厚な鐘の音が一つ、涼の頭の中で響いた。昨日、デパートで必ず買っておくように厳命しておいたのに。
「買えばすむ話だ」
「九時過ぎよ? デパートなんて閉まってるし……」
「コンビニ」
「仮にあったとして涼、あなた市販の甘ったるい伊達巻で満足できる?」
「う……っ」
涼は小さく呻いた。無理だ。でなければ、口を酸っぱくしてデパートで買っておくように言ったりしない。
『伊達巻?』
いくら貧乏教師とはいえ、年始早々コンビニの伊達巻なんて悲し過ぎる。この状況を打破すべく涼は思考を巡らした。考えて考えて考えて――導き出された結論はただ一つ。
「……忘れるか普通?」
「だから最初に謝ったじゃない」
琴音は口をとがらせる。涼は額に手を当てた。
「なんたることだ。我々に新年の夜明けはないというのか」
『いや自分で作れよ、伊達巻ぐらい』
そういえば、まだ繋がっていたのだ。涼はため息をついた。
「重大な問題が発生した。切るぞ。良いお年を」
『なあ――』
電源ボタンにのせた涼の指が止まった。
『俺、作ってやろうか?』
(私は反対した)
誰に言うともなく涼はコタツの中で主張した。
(たかが伊達巻……いや、伊達巻は重要だ。正月を迎えるにあたって欠かせないキーアイテムであることは私も認めよう。だが、しかし――)
涼は台所へ目をやった。黒エプロンに青のバンダナ。格好も、そして簾を扱う仕草も非常に様になっている。実に結構なことだ。
彼が鬼島天下でなければ。
「呼びつけるか? 九時過ぎに」
「だって来てくれるって言ったんだもん」
ねー、と隣に立つ琴音に同意を求められ、天下は如才のない笑顔で応じた。
「押し掛けてきてすみません」
「まったくだ」
「涼、なんてことを言うの!」
「気になさらないでください。いつものことですから」
人の良いフォローを入れる天下。琴音の中で鰻登りの如く天下への好感度が上昇していくのが、リビングからでもわかった。反比例して涼の株が下落していくのも。