(その四)相手の陣地です
「で、結局何があったの?」
予想はしていたが、琴音の興味は始終修学旅行にあった。都内有数のマンションに涼を招き入れ、茶をすすって一息。明日に向けておせちの準備を始めてもしつこく追究してきた。涼としては触れたくない話題。しかし三日間世話になる以上、譲歩はするべきだ。適当に琴音の興味を満たすことにした。
「まあ、なんというか、喰われそうになったんだ」
「肉食獣?」
「とびきり獰猛な」
頷いてから、涼は小首を傾げた。時折見せる眼差しは明らかに獲物を狩る肉食獣のものだ。しかし六歳上の、それも教師を相手となると、守備範囲の広さを考えさせられる。
「雑食、かもしれない」
重箱に黒豆を詰めていた琴音の手が止まった。
「所構わず?」
「いや、本人の面がいいからな。毎日眺めてる自分の顔を基準にしたらかなりの面食いになると思う。文武両道だし、その気になれば美女がよりどりみどりだろうな」
「その面食いさんに食べられそうになったんだ。よかったね。お眼鏡に適ったってことじゃない」
作業を再開。あくまでも琴音は呑気だ。
「だから雑食なんだって」
冷静に考えれば単純なことなのだ。
「毎日豪華料理食べていたらさすがに飽きるだろ? なんか粗末なもの食べたいなーとか考えていたら、ふと目についたカップラーメンだって美味しそうに思えるものさ」
「私、カップラーメン好きよ」
「奇遇だね。私もだ。しかしカップラーメンと高級フカヒレスープが並んでいたら、やっぱりフカヒレスープに手を伸ばすわけだ、結局は」
琴音は複雑な顔で冷蔵庫からカマボコを取りだした。
「でもその雑食さんはカップラーメンがいいんでしょ?」
「興味本位で喰われかけたこっちは、堪ったものじゃない」
ふーん、と気のない返事をして琴音は再び冷蔵庫を開ける。
「で、逃げてきたんだ」
「当然だ。相手にできるか」
「それなら大丈夫よ」
他人事だと思っているのか琴音は軽く言う。
「まあ、喰われたいと思っちゃったら諦めるしかないけどね」
涼は昆布巻きを詰める手を止めた。
「……『喰われたい』と思わなければ大丈夫?」
「嫌なんでしょ。じゃあ、食べられる心配はないよ。相手は生徒。あんたは教師。明らかに有利じゃない。こっちは成績握ってんのよ?」
なるほど。全ては自分次第なのだ。涼は目から鱗が落ちるようだった。天下の動向ばかり気にしていたが、こちらが山のように揺るがない態度で毅然と応じれば、雑食獣の一頭や二頭、どうということはない。流されないことが肝心だ。安易な同情、余計な世話焼きは極力控えよう。
時が経てば情熱も冷める。カップラーメンよりもフカヒレスープの方が断然良いことに天下も気づくだろう。
来年の目標『風林火山』。書き初めよろしく方針を固めたところで、コタツの上に放置していたケータイが鳴った。ディスプレイを見たら知らない番号。警戒しつつも通話ボタンを押す。
『……先生?』