冬休み(その一)帰るまでが遠足です
修学旅行から帰ってすぐ、荷物整理よりも先に涼は琴音へ電話をかけた。
『あ、留守電聞いてくれたんだ』
「四件も入れられたらね。とりあえず応じてやろうとは思うよ」
こちらの皮肉にも怯むことなく琴音は『だって涼が冷たいんだもーん』と甘ったるい声で責任転嫁。手強い奴だ。こいつも、そして――不意に頭に浮かんだ人物を、涼は即座に追い払った。
待て。どうして奴がそこに出てくる。
『京都だよね? いいなあ』
「代わってやりたかったよ」
どこがいいものか。一日中生徒の面倒を見なければならなかった。こっちは五十分の授業ですら精一杯だというのに。京都の観光どころではなかった。その上、三日目の晩ときたら、もう……待て。落ち着け。
再び脳裏をよぎった生徒を即座に打ち消す。
『――で、どう?』
琴音の声に涼は我に返った。
「え?」
『年末年始は涼も暇でしょ。良かったら二人で年越ししない?』
それで涼はおおよその事情を察した。琴音は実家に帰りたくないのだ。
「愛しのお兄様は?」
意地悪く訊いてみれば案の定、琴音は電話越しでもわかるくらい不機嫌そうに。
『演奏旅行。二人っきりで』
「いい加減兄離れしろよ」
『別に、お義姉様が気に入らないわけじゃないの。むしろ好きよ。でもね……いえ、だからこそお正月くらいは帰ってきてくれてもいいと思わない? 六年近く会ってないのよ?』
このブラコンぶりには涼も苦笑する他なかった。琴音には八年歳の離れた兄がいる。世界的に有名なピアニストで、最近では多忙にかまけて実家にはほとんど顔を出さない。そのことを寂しがる可愛い妹――と言えば聞こえはいい。が、結婚して家庭を築いている兄に仕事も何もかも放り出して傍にいてほしいと願う二十歳過ぎの妹、というのはあまりにも大人げがない。
『とにかく、予定は空けておいてね』
「善処はするよ」
『オペラで年越ししましょう』
不覚にも涼の胸は高鳴った。琴音は金持ちだけあって、貴重なCDや絶版になったレーザーディスクをいくつも持っている。
「マリア=カラスの『トゥーランドット』用意しといて」
『妙なのが好きね、涼ちゃんって』
やや呆れた口調。
『普通マリア=カラスと言えば「カルメン」とかじゃない?』
彼女の当たり役だ。故に大量に世に出回っている。涼でさえ持っている程だ。
「普通じゃつまらない。あとおせち。餅はこっちで用意する」
『はいはい。もれなくドミンゴ様も揃えておくわよ』
涼は十二月のカレンダーに「オールナイト・オペラ」と書き込んだ。終業式以外何一つ予定が入ってなかった月に、とんだ楽しみが生まれた。一人大晦日に一人正月。毎年のことなので当然と受け止めていたが――
(あいつはどうするんだろうな)
家に彼の居場所はない。親しい友人がいるとはいえ高校生が大晦日を家族以外の人間と一緒に過ごすとは考えにくい。親が許さないだろう。やはり一人なのだろうか。クリスマスも、大晦日も、お正月も――って。
待て。だから、どうしてそこで奴が出てくるんだ。
涼は頭を振った。修学旅行の間にずいぶんと毒されてしまったようだ。これはゆゆしき事態だ。
『ところで涼ちゃん』
電話口からは呑気な琴音の声。
『修学旅行、どうだった?』
「聞くな」
本編が進まないので修学旅行をすっ飛ばしました。
何があったのかは、本編(一部)完結後に気が向いたら書く予定です(予定は未定)。こんなしょうもない作者ですが、今年もよろしくお願いいたします。