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   (その十六)それでも責任はしっかりとりましょう

「どうして『俺』なんだろうな。親父でも統でも一でもなくて、どうして俺だけをお袋は忘れちまったんだろう」

 一人離れて住む。天下の孤独はそういう物理的なものからくるものではなかった。もっと奥深く、彼の存在そのものからくる孤独だったのだ。

「前に言ったこと、あれ半分本気だった。俺はお袋に嫌われていたんじゃないか。余所のガキなんじゃないか――いろいろ考えて、戸籍まで調べたんだぜ?」

 自嘲気味に弧を描く天下の口元。しかし涼は何も言えなかった。

 出生など関係ない、というのは恵まれた側の言い分に過ぎない。人は誰しも自ら望んで生まれたわけではない。有無を言わさずこの世界に産み落とされた。だからこそ願うのだ。せめて望まれて生まれたい、自分の親にだけは。涼の場合、その願いは叶わなかった。

 天下は空を仰いだ。

「でも何にも出てこなかった。俺は鬼島弘之と鬼島美加子の長男、鬼島天下以外の何者でもなかった」

 思考は巡り巡って結局、元に戻ってしまう。どうして自分なのだろう、と。

 好きで記憶を失ったわけではない。だからこそ、天下は余計に傷ついた。意味もなく、理由もなく天下という存在は母親の中から抹殺された。悪意がないのがより一層残酷だった。彼には責めることすら許されなかった。誰も悪くないのなら。誰にも非がないのなら、何故、どうして――

 どうして、自分は忘れ去られたのだろう。

 天下は悲壮めいた顔をしているわけではなかった。憎悪も怨嗟も軽蔑すらなかった。ただ、冷めていた。見慣れた表情に涼はたまらなくなった。胸に占める空虚感の名は知っている。これは、絶望だ。

 つい伸ばしかけた腕を、涼はかろうじて押し止めた。

 駄目だやめろ。手を差し出すな。頭の中で警鐘が鳴り響く。情に流されればどうなるか、誰よりも涼が知っている。育てられないのなら、どうして生んだ。無責任じゃないか。放り出すくらいなら最初から関わらなければいい。顔も見ない母に向かって何度そう罵倒したか。

 だから天下を突き放した。彼の想いを受け入れたら、その先はどうなる? 涼にはとても責任が持てるとは思えなかった。後先考えずに行動した結果、振り回される周囲の迷惑を涼は十分過ぎるほど理解している。

 だから、傷つき途方に暮れた天下に手を差し出すことはできない。満たされるのは涼の自己満足だけだ。わかっている。そんなことくらい。だが、だが――

 もう限界だった。涼は天下の頭を抱え込んで、きつく目を閉じた。顔なんか見れやしない。抱きしめられる格好になった天下の身体が強張ったのを腕に感じた。

「先生?」

「うるさい」

「誰かに見られたらどうすんだよ。最悪、クビだぞ」

 小さく身じろぐ。涼は抱きしめる腕に力を込めた。

「私の知ったことじゃない」

 宥める意味を込めて艶やかな黒髪を梳く。やがて天下は観念したように肩の力を抜いた。自嘲混じりに呟く。

「同情か?」

「そうだよ。憐れんでやっているんだ。感謝しろ」

 天下の境遇に同情した。それだけだ。そうでなければこんな真似はできない。だって自分は教師で、彼は生徒だ。

「私の教師生命を懸けて同情してる」

 天下を抱擁することなどできやしない。憐憫だと思わなければ。無責任によって何がもたらされるのかはわかっている。しかし、それと同じくらい涼は孤独を知っていた。

 躊躇いがちに涼の背中に手が回った。より密着できるよう、天下が腕に力を入れる。その仕草は抱き寄せるというよりも縋っているようだった。

 長く、感嘆にも似た吐息を皮切りに、肩が小刻みに震える。押し殺すような嗚咽。その一つさえも取りこぼすことのないように、涼は殊更丁寧に天下を抱きしめた。

 せんせい。

 低く掠れた声が空気を震わせた。頭の中で鳴り響いていた警鐘はもう聞こえない。


 恋愛と分類すること自体間違っている拙作をお読みいただきまして、まことにありがとうございます。今年度は明日の更新を持って終わりとさせていただきます。再開は1月10日を予定しております(予定は未定)。


 本編は上記の通りなのですが、31日に番外編なるものを期間限定で公開しようかと画策しております。あまりにも本編に甘みがないのでその救済策になれば幸いです――が、今更ながら私め、小説はそれなりに書いて参りましたがこと恋愛になると完全なる若葉マークですので、恋愛要素入りの小説を書いた日にはいたたまれなくなること間違いありません。ですので、10日までの限定公開とさせていただきます。だったら最初から書くなと言いたいところなのですが、いつまでも恋愛から逃げていたら何一つ成せないのでここは一つ恥をかき捨てて挑む所存です。

 長々と失礼いたしました。

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