(その十)毒を食らわば皿まで、です
スーパーから離れ、商店街の外れにある公園まで来てようやく天下は足を止めた。
「あんた、何してんだよ!?」
怒気に満ちた形相で詰め寄ってきた。しかし、胸倉掴んで問い詰めたいのはこちらの方だ。涼は悪びれもなく答えた。
「夕飯の買い物。さっきの女性とは偶然会った。話が弾んでな。いろいろ聞いた。来年高校受験を控えた長男と、サッカーに燃える二男の四人家族だそうだ」
天下は盛大に舌打ちした。
「嫌がらせかよ。手の込んだことしやがって……っ!」
「何度も言わせるな。変化球は苦手なんだ。君に聞いたけどまともに答えてくれなかった。なら本人に聞くしかないだろ」
「だから、どうして、他人の家庭事情に首突っ込んでくるんだ。ただのお節介じゃねーか。迷惑なんだよ」
心外だ。涼は腕を組んだ。
「私には首突っ込んでほしそうに見えた」
あんな出来事があっても、六限が終わる頃には涼は冷静さを取り戻していた。ついでに考える時間も十分にあった。結局、鬼島家が何を隠しているのかはいくら考えてもわからなかったが、一つだけ気付いたことがある。天下のことだ。
彼には、他人の心を試したがる癖がある。
それが意識的になのか無意識なのかはわからない。が、天下は少なくとも涼に対しては恋慕と同時に疑念を抱いている。だから試みるのだ。
例えば先日のオペラの一件。あれは佐久間と涼が二人で会っているのを見て気を利かせたというよりは、涼がどちらを選ぶのかを確かめた、と取れる。今朝の一件にしてもそうだ。挑発的なことを言って涼の神経を故意に逆撫でした。まるで、どこまでなら赦されるのかを量るかのように。
鬼島天下は普通科が誇る優秀生徒だ。故に教師たちの覚えも良く、生徒らの人望も厚い。だから思ってしまう。もしも、優秀生徒でなかったら。自由奔放に、我儘に生きていたら、果たして自分は認められるのだろうか、と。
好かれたいと願っていながら涼にさえ試みてしまうほどに、彼は猜疑心を抱いている。
裏を返せば、天下は今まで無条件に愛されたことがほとんどない、ということだ。
「まだるっこしいのは嫌いなんだ。ほれ、さっさと吐いてしまえ」
眉間に皺を寄せる天下に低く耳打ちしてやる。
「戻ってお母様とお父様に訊いてこようか?」
彼の急所だ。それを知っていながら突く自分の鬼畜ぶりに自分で呆れた。
「てめえ……それでも教師か」
天下が目を眇めた。高校生とは思えない凄みがある。気圧されそうになる己を叱咤して涼は不敵に微笑んだ。睨み合うことしばし、先に折れたのは天下の方だった。
「お袋に訊いたって、わかりゃしねえよ」
「じゃあ、父上殿ならわかるのか」
「お袋以外ならな。親父も統も一も知ってる。お袋だけなんだ」
「何をだ」
天下は短く息を吐いた。
「俺が中学の時にお袋が交通事故に逢ってな。まあ、見ての通りちゃんと回復したんだが、一つだけ戻らなかったものがあった」
何だと思う?
視線で問われても涼は答えることができなかった。美加子が何かを失っているようには見えなかった。良い家族に囲まれて充実した生活を送っているようにさえ思えた。
「俺の記憶。どういうわけか俺のことだけ覚えていなかった。旦那は鬼島弘之。長男は統で、その下は一。そう思い込んでた」