五限目(その一)振り振られは恋愛の常です
自分が不幸だと思ったことはなかった。
そもそも何が幸福なのかがわからない。親に捨てられる子供なんてよくいるし、親の記憶どころか顔すら覚えていないのは、むしろ幸せな部類に入るのではないかと思う。絶対的な信頼を寄せる者に裏切られる痛みを味わわずに済んだ。信頼も何も最初から何もないのだから失いようもなかった。
不幸なのは中途半端に愛情を知ってしまった方だ。朝起きて「おはよう」と言ってくれる肉親。自分だけを見てくれる存在。失った時の絶望は想像を絶するものだろう。光満ちた世界からいきなり真っ暗闇に放り投げだされるようなものだ。なまじ明るさを知っているだけに闇の深さに耐えられなくなる。
そういった哀れな子供が施設に仲間入りする様を涼は何人も見てきた。自分の境遇を恨んだことはない。他の子が何故悲んでいるのか理解できなかったぐらいだ。
だから、小学校の授業参観に誰も来なくても、運動会で応援してくれる人がいなくても、当然だと受け止めていた。要するに、長いこと闇の中にいたので慣れてしまったのだ。
しかし、すぐ隣にいるクラスメイトが親の悪口に花を咲かせている時、手作り弁当を当然のように食べている時、どうしても胸がぽっかりと空いたような気になってしまう。
どうして。
失ったものなど何一つとしてないはずなのに、喪失感が込み上げてくる。
どうして、自分には親がいないのだろう。
結局、傷つけてしまった。
恋愛の常だとはいえ、涼の気分は重かった。天下の好意に気づいていたから、それとなく拒んでいた。彼も自分の想いが受け入れられないことを察していた。だから、諦めてくれるだろうと高を括っていたのだ。有耶無耶にできると。
だが、天下は予想以上に思い詰めていた。結果、優秀な彼にしては余裕も策略もなく直球勝負に出て、涼はバットで打ち返してホームラン。試合終了だ。
悄然と去って行った天下の後ろ姿が忘れられない。
オペラの礼すら言えなかった。
恋愛に限らず、懸けていた想いが大きければ大きいほど、失った際の傷は深くなる。しかし、拒絶する側にだって――捨てる側にだって痛みはある。
そうでなければ、不公平だ。