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【番外編】恋せよ弟子、二年後くらいに(そのいち)

※あてんしょん※

当番外編に涼と天下は出てきません。

「ちー、また喧嘩したのか?」

 軽く笑みを含んだ指摘に、秋本千歳はしかめっ面をした。一体誰がチクったのか。心当たりが多過ぎてわからなかった。

 きっかけは今となっては思い出せないくらい些細なことだった。理由なぞ何でもよかったのだろう。同じ中学一年生で同じ教室でヴァイオリンを習っている。なまじ共通点が多いからこそお互いが気に食わない。ただ、それだけことだった。

「売られたものを買っただけだ」

 深く追及される前に、千歳は弓を構えた。レッスンは三十分。週に一度の限られた時間を近況報告に割くことはできない。

 先週与えられた課題曲を、師の前で千歳は一通りさらい始めた。運指を鍛えるためだけに作られた音階の羅列は弾いていて楽しいものではない。全てはこの後に習う予定の『ヴィターリのシャコンヌ』のため。指に弦の跡が残るくらいに練習した。完璧だったーー運指は。

「弓の軌道が定まっていないな」

「は?」

「もう一回」

「いや、コレ指遣いの練習だろ」

「もう一回」

 バッサリと切った黒髪。小柄で童顔。ともすれば少年と見間違えるような容姿に反して、師匠はとても頑固だった。ことヴァイオリンに関しては一度言い出したらテコでも動かない。

 やむなくもう一度、千歳はボーイングにも気を遣いつつ弾いたのだが、それでも師匠から及第点はもらえなかった。

「駒と弓は常に平行に」

 弓を操る千歳の手に師匠のそれが重ねられる。途端に弓の安定感が増し、音色もまた艶を増す。同じヴァイオリンから奏でられているとは思えないほどの差だった。

「自分に対してじゃない。ヴァイオリンに対して真っ直ぐに弾くんだ」

 初心者よろしく手取り足取り指導。もはや運指などそっちのけで何度も何度も開放弦を弾かされる。千歳の弓が規則的な前後運動ができるようになってようやく、師匠は満足した。

「よし。じゃあ来週までに今の動きを覚えてくるように」

 と次なる課題を出されたのと、六時を告げる鐘が鳴ったのはほぼ同時だった。レッスン終了。また来週である。今日から始めるはずのシャコンヌは一小節も弾けないまま。

「ちょ、待て。シャコンヌは?」

「ボーイングができてたら来週やろう」

「話が違えだろ! 先週は運指が甘いって」

「おかげで運指は大分上達したな。次はボーイングの見直しだ」

 不満を露わにする千歳に、師匠は笑った。

「慌てなくてもシャコンヌは逃げないさ」

 到底納得はできなかった。最初からシャコンヌを教える気はなかったのではないか。猜疑心たっぷりの視線をものともせず、師匠は「また来週」と呑気に挨拶した。生徒の気も知らないで。

 千歳はヴァイオリンをケースに仕舞うとさっさと退室した。胸の内に燻った不満を持て余しながら、教室を後にする。

「お疲れ様」

 ちょうどレッスンは終わったのだろう。別の講師に習っている綾奈が声をかけてきた。一目で高級とわかるヴァイオリンケースを背負った綾奈を、千歳は冷めた目で見た。あいにく駅が同じなので必然的に一緒に帰る羽目になる。

「ラロきついわー。全然進まない」

 エドゥアール=ラロ作曲の『スペイン交響曲』だ。派手なヴァイオリンの独奏で有名な曲。ヴァイオリン弾きならば必ずと言っていいほど一度は習う曲でもあった。

「そっちは?」

「……来週からシャコンヌ」

「え、まだヴィターリやってないの?」

 舌打ちしたいのを千歳は堪えた。いくら綾奈が四歳の頃にヴァイオリンを始めているとはいえ、同じ学年なのに片や運指の練習曲止まり、片や交響曲ーーこの差は一体何だ。

「だって堂前くんも先々月に終わったって」

 今一番聞きたくない名だ。千歳は盛大な舌打ちをした。

「あー……でも、秋本くんはレッスン時間が短いから」

 仕方ないよね。

 取り繕う綾奈の言葉が、一番腹立たしかった。

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