【番外編】恋せよ青年、何度でも(結)
というわけで、天下は全ての札をテーブルの上に曝け出したのであった。
アドバイス通り役所で頂戴した婚姻届。いくら無料とはいえ七枚も貰って、その上ご丁寧に七枚全て記入済みとなれば、涼でなくとも引くだろう。本当に書き損じする奴なんているのだろうか。謎めいた男性の言葉を鵜呑みにしたのが間違いだったのかもしれない。
天下は早々にして己の失態を呪った。成長したつもりでも、後先考えず情熱だけで突っ走る性分は大して変っていない。
「君は一体、何回結婚するつもりなんだ?」
涼は苦笑混じりに訊ねた。困っているようで、その実穏やかな表情。ただの生徒であった頃なら子供扱いだと拗ねていただろう。しかし、今ならわかる。涼がこんな優しげな顔をするのは心許せる相手にだけだ。
「最低一回以上」
天下は殊更綺麗に書けた婚姻届を涼の前に差し出した。
「あんたが相手なら、俺は何度でもやる」
ばーか。
一世一代の告白を涼は鼻で笑った。天下は自身の頬が引きつるのを感じた。恥も外聞もかなぐり捨てて頭を下げたくなる。頼むから。後生だから。
浮気なんかしない。子供が生まれたら死んでも余所にやったりはしないで育てる。家族なんていまいちよくわからないが、手探りでいい、多少歪でもいい、二人で作ろう。
月に一回くらいは、演奏会に連れて行ってやる。プラシド=ドミンゴを観て目を輝かしても責めたりはしない。どうしても嫉妬はするだろうけど、涼が大切にするものを否定したくない。せめて理解したい。この世界の誰よりも。
してやろう、なんて偉そうなことは言えない。結局は自分が欲しいだけなのだ。でも与えたい。涼の中でぽっかりと空いてしまったものを埋めたいと思う。どうしても、この手で育み、守っていきたかった。
どんなに平凡で些細なことでも取りこぼすことのないように、丁寧に積み重ねていけたらと思うのだ。涼と、自分の、二人で。
祈りに似た切実さで天下は願った。
「俺の家族になってください。俺を、家族にしてください」
深々と下げる頭。耳が痛くなるような沈黙の中、視界の端で涼の白い手が用紙に伸びるのが見えた。無造作に婚姻届を引き寄せて、転がっていたボールペンを掴む。いざ記入。が、ペン先は姓名記入欄の上で止まった。
「……どうしよう」
この期に及んで何を今さら。顔を上げて、天下は息を呑んだ。
微かに震える指先。緩く弧を描く口元。儚く揺らぐ瞳――閉ざした瞼から、涙が長い睫毛を伝って頬へ垂れた。感嘆ともとれる深いため息を一つ。再び開いた瞳は透き通るほど黒く輝いていた。
声もなく、静かに、涼は笑っていた。泣きながら、微笑んでいた。
「どうしよう、すごく嬉しい」
果てない愛と感謝を込めて。
お付き合いくださり、ありがとうございました。