【蛇足】恋せよ音楽家、熱烈に(その八)
舞台は整った。リハーサルも終了。体育館は満員御礼。メディアの取材まで来ている。たかが一公立学校の校内演奏会にーーとくれば、音楽科の生徒や教師陣のみならず、学校全体が騒ついてしまうのは致し方ないことだった。
そんな喧騒を遮断した音楽科準備室では、突如現れた珍客がもてはやされていた。
「突然すまない」
吉良醒時の妻にしてプロ・ヴァイオリニストである吉良零は、小柄な身体をさらに萎縮させていた。今日は旦那が演奏会に出演するので、仕事帰りに様子を見に寄ったらしい。が、童顔、ベリーショートの黒髪と相まって傍目には高校生くらいにしか見えない。とても吉良醒時の関係者とは信じてもらえず、守衛室で足止めを喰っていたところを理恵が救出した。
「いえいえ、浅野零さんにお会いできるなんて光栄です」
理恵は上機嫌で零に紅茶を勧めた。既に演奏会は始まっているとは思えないほど穏やかで和やかな雰囲気だ。自分の教え子が出演していないとはいえ、仮にも音楽科教師が校内演奏会を観ないのはいかがなものか。
「でも、もう学生さん達の演奏は始まっているんだろう?」
「いいんですよー。どうせ前座ですから」
よくねえよ。一向に反応しないスマホと睨めっこしていた涼は顔を上げた。仕事を終えてから来る予定の吉良醒時氏を迎える役の自分はともかく、理恵は音楽科教師として普段の倍以上の聴衆を前に舞台に立つ生徒達を見守る役があるはずだ。
完全にメインになっているが、吉良醒時はゲストだ。ゲストの奥様にかまけて生徒を放置するなんて、本末転倒もいいところだ。
(コアなファン、ねえ……)
浅野兄妹は活動期間こそ三年と短いが、兄妹ならではの息の合った演奏で人気を博したらしい。かくいう理恵もその一人。本人を前にして放置できるほど、まともなファンではなかったようだ。
待ちわびた連絡がきたのは、涼が深々とため息をついたのとほぼ同時だった。通話ボタンを押して出る。挨拶も名乗りもなしに、相手の琴音は端的に用件を告げた。
『ごめん三十分遅れる』
「はあっ⁉︎」
人前であることも忘れて涼は声を荒げた。
「な、なんで」
『仕方ないじゃない。身の程知らずが嫌がらせしてきたのよ。お兄様がブチギレ寸前でなだめるの大変なの……まあ、それは私がなんとか手を打つからいいとして』
「車のタイヤをパンクさせられたとか、事務所の窓ガラスを割られたとか?」
「他人をヤクザみたいに言わないでよ! ただ「妻を無事に返して欲しければ今日の演奏会に出るな」とかベタな脅迫状が送りつけられただけ。お義姉様とも連絡がつかないし……』
「十分物騒な事件でしょうが」
ツッコミを入れてから涼は何かがおかしいことに気づいた。脅迫状。妻。つまり吉良醒時のーー涼はスマホを耳に当てたまま、振り向いた。紅茶のカップを手にした状態でこちらを見ている吉良零と目が合う。
「零さん、拐われたの?」
『どうでしょうねえ。連絡がつかないだけだからなんとも』
「オレはここにいるぞ」
ご本人が自身を指差して主張する。涼はそのまま電話先の琴音に伝えた。




