【蛇足】恋せよ音楽家、熱烈に(その六)
吉良醒時。吉良は母の旧姓であり、本名は榊醒時。彼が頑なに「吉良」と名乗るため、本名を知る者は意外に少ない。
名前だけではない。「吉良醒時」は傑出したピアニストでありながら、その経歴のほとんどが謎に包まれていた。
吉良醒時が頭角を現し始めたのは高校生の時、とあるヴァイオリン専攻生の伴奏を務めたことからだった。高校生とは思えない超絶技巧を駆使した演奏に度肝を抜かれた聴衆は熱狂し、アンコールを求めるほどの異例の事態になったという。やむなく応じた醒時が急遽ピアノソロで『パガニーニによる超絶技巧練習曲第三番「ラ・カンパネラ」』を演奏。練習曲の域を超えた難曲を弾きこなす技術、そして情緒あふれる表現力に聴衆は魅了された。
当時、吉良醒時が音楽科ではなく、普通科に所属していたことも注目度上昇に拍車をかけた。同年、学園祭のピアノ協奏曲のソリストを務め、またしても賞賛を浴びた吉良醒時は、そのまま一気に一流ピアニストとしての階段を駆け上がったのである。
今では日本人初のショパンコンクール優勝者、二十一世紀最高のリスト弾き、果ては『音楽家殺し』だの『スタンウェイの貴公子』という二つ名まで持つ世界屈指のピアニストだ。
――それだけに、妬まれることも多かった。
さて、恵まれ過ぎたピアニストに嫉妬する者がここにも一人いた。
プライバシー保護のため仮にサリエリさんと名付けよう。
高校時代に今や伝説となった校内演奏会の演奏を聴いた瞬間にプロの夢を捨てた、それなりに潔い人物だった。
とはいえ、自分に引導を渡した相手が目の前にいるというのに何もしない程聖人君子でもなかった。
(相変わらず目障りな奴だ)
サリエリさん(仮)は忌々しく思った。
外国にずっといればいいのに何故帰国するのだろう。テレビや新聞、ネットで話題になる分にはいい。ショパンコンクールで優勝しようがパガニーニ国際コンクールに出場しようがどうでもいい。自分には遠いことだと流すことができた。
だが、吉良醒時は懲りもせずに自分の前に現れた。無遠慮にも高校で演奏するという。以前ならば歯牙にもかけなかった公立の平凡な高校で。ステージの上で。自分の目の前で。これが無神経と言わずしてなんと言うのだろう。
たしかに話を持ち掛けたのはこちらだが、受けるか普通。ショパンコンクール優勝者だぞ。
昔からあいつはそうだった。スポットライトを浴びるのが当たり前で、その陰にいるしかない者のことなんて考えもしない。
(邪魔してやる)
何でもかんでも思い通りにいくと思うな。世間の厳しさというものを教えてやろう。
逆恨みも甚だしい決意を胸に、サリエリさん(仮)は拳を握りしめた。




