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【蛇足】恋せよ音楽家、熱烈に(その五)

 ついに訪れたリハーサル日。

 平和で穏やかな授業を終えた放課後、涼は正面玄関口で立ち尽くすこととなった。

 どう見ても公立高校に似つかわしくない真紅の絨毯がひかれていた。一分の皺もなく綺麗にセッティングされたそれは、正門から体育館まで続いているようだった。おそらく、ステージの上までも。

「わあー……アカデミー賞の授賞式みたい」

 絶句した涼の心情を代弁したかのような理恵のコメント。テレビで見たレッドカーペットがたしかこんな感じだったような気がした。

 もはや考えるまでもない。誰の仕業かは明白だった。

 何事かと駆けつけてきた一般生徒達と教師陣が固唾を飲んで見守る中、そのお方はやって――否、いらっしゃった。黒塗りの高級車から降り立った吉良醒時は、周囲の視線なぞ気にも留めないで絨毯の上を進んだ。護衛を引き連れるその堂々たる姿は王者の風格だ。エルガーの『威風堂々』がこの場に流れても違和感がない。

「よ、ようこそ、いらっしゃいました」

 本日のお召し物はワイシャツとスラックスに立ち襟のコート。長身痩躯にあつらえたような ネイビー――実際、オーダーメイドだろう。当然だが涼にわかるようなブランドではなかった。ひとまず燕尾服でないだけマシだと思って諦めることにする。

 レッドカーペットの上を悠然と進む吉良醒時様に付き従うようにして歩く涼と理恵。案内役なんぞいらいが、まさか放置するわけにもいかない。

「いつもこういう万全な態勢で演奏会をされているんですか?」

 遠慮なく不躾とも取られかねない疑問をぶつける理恵。彼女も相当の度胸の持ち主だった。

 そして偉大なるピアニスト吉良醒時様からのご返答は「被害は最小限にとどめたい」というお言葉だった。

「被害?」

「十年ほど前だ。コンクールに出場した際、身の程知らずの雑魚に襲撃された。その場に運悪く琴音が居合わせ、全治半年の怪我を負わせた」

 なるほど。それならばこの過激な過保護態勢も半分くらいは理解できなくもない。愛しのお兄様を襲撃したのだ。全治半年の怪我くらい――涼は何かがおかしいことに気づいた。

「負わせた?」

 誰が、誰を。

「琴音が襲撃した奴を返り討ちにして病院送りにした。過剰防衛となる所だったが、最初に襲ってきたのは相手側だ。その負い目もあって示談に持ち込んだがな」

「ちょっと待ってください。十年前、ということは、琴音は中学生か高校生」

「柔術、剣術、空手、拳法――一通りの武芸は修めている」

 すらすらと恐ろしいことをおっしゃる琴音の愛しのお兄様。

「琴音は人間不審の気がある。近づく者は誰彼構わず敵とみなし、排除する傾向が強かった」

 その話が本当ならば、襲撃した人は不運にも程がある。

 涼は戦慄した。琴音はブラコンどころではない。筋金入りのヤンデレだ。

「それで、この厳重な警備体制を」

「プロの護衛ならば必要以上の怪我は負わせん」

 様子から察するに、この過剰とも言うべき警護体制を当の醒時本人も甘受しているのは、妹の熾烈さを理解しているからのようだ。

(お兄様に心酔しているとは思っていたが)

 想像以上にヤバい実情を知ってしまった涼は頭に鈍痛を覚えた。醒時の小慣れた感が琴音の過保護にして苛烈な愛の長い歴史を思わせた。見惚れるほどの美男子にも関わらず、醒時氏の浮いた話の一つもない理由もおのずと察せられた。学生時代もあの手この手で妹がお兄様に近づく者を片っ端から排除していたのだろう。異性なんてもってのほかだ。

(あれ? もしかして零さんが吉良氏と交際できたのって……)

 これ以上考えたらさらに恐ろしい結論に至りそうだったので、涼は思考を放棄した。

「そういえば奥様は?」

 無言で醒時は胡乱な眼差しを向ける。その目は如実に「零に何の関係がある」と言っていた。

「いえ、特に用があるとかそういうわけではなく、お元気かと」

「体調を崩して休んでいる」

「それは残念ですね」

 素直に言ったのは理恵だった。

「一度お会いしたかったのに。浅野零さんですよね」

「ああ」

 ぶっきらぼうを通り越して不機嫌な声音。醒時の苛立ちを全く感知していないらしい理恵は、どこまでも呑気だった。「お会いしたかったです」としきりに残念がった。

 体育館は貸切状態。厳重な警備体制のピアノ様が解錠されている間に醒時は演奏準備。様子を見守るしかない涼はこっそりと理恵に訊いた。

「奥様のことをご存知なんですか?」

「数年前、ヴァイオリン・デュオで一時注目されましたよ。ご兄妹で組んでたんですけど、今はどちらも活動はされてないようですね」

 零の旧姓でさえ知らなかった涼である。ヴァイオリンを嗜んでいたとは知っていたが、プロとして活動していたとは初耳だ。『浅野兄妹』と聞いてもピンと来ない。

「とはいえ、プロですもの。コアなファンもいたみたいだし、奥様をソリストとしてお呼びするのもアリですよね。別の機会に」

「不可能だ」

 理恵の妄想に割って入ったのは、意外にも演奏前の精神統一中であるはずの醒時だった。鋭い眼光でこちらを見据えていた。

「奴にリサイタルを行うほどの力はない」

 切り捨てるような口調だった。それ以上の質問も許さず醒時は踵を返してピアノへと向かった。


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