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【蛇足】恋せよ音楽家、熱烈に(その四)

 そんなささやかな尊敬を抱いてから約一週間後。

 吉良醒時のリハーサルを一ヶ月後に控えたある日の放課後に来客があった。

 琴音から事前に聞いていたので涼はさほど驚かなかったが、受付の事務員は微妙な顔をしていた。

 それもそのはず、来客者は柔道でもやっていそうな引き締まった体格をスーツに包んだ青年だった。警察官を彷彿とさせる男は涼がやってくると一礼。名刺を差し出し、吉良醒時の護衛だと名乗った。本日ご来校の目的は下見をするためだ。

「緊急時の避難経路も確認させていただきたいのですが」

 丁寧な物腰だった。既に校長の許可も得ているので、涼は会場から非常口まで案内した。特に問題もなく校内案内は終了。これまた丁重なお礼を述べて護衛の男性は去った。

(……護衛)

 そして会場の下見。激しく湧き上がる違和感は胸の中に押さえ込んだ。

 きっと自分が知らないだけでこれが普通なのだろう。

(最近は変質者も多いらしいし)

 ショパンコンクール優勝者とはいえ、一ピアニストが襲撃される確率はいかほどなのか疑問を差し挟む余地はかなりあるが、用心するに越したことはない。

 涼は深く考えないようにした。


 その二週間後、いよいよ情報解禁にして予約受付開始日。

 事務所が用意した専用回線のみで予約を受け付け――しているにもかかわらず、学校にも問い合わせの電話が入った。

「電話が全然繋がらないんですけど」

 開口一番に喧嘩腰。声から察するに若い女性だろう。涼は手元のメモの正の字に一画を足した。

「申し訳ございませんが、演奏会に関する問い合わせはご案内の電話回線のみで受付しておりますので……」

 言外に他を当たれと告げても、相手は怯まない。

「それが繋がらないからこっちに掛けてんじゃない。まさか、もう席が埋まったなんて言いませんよね?」

 涼は壁の時計を見上げた。予約開始から三十分経過。まず間違いなく埋まっているだろう。

「あいにく私どもの方では存じあげません」

 あーあ怒るだろうな。手元の正の字は既に二つ目に突入している。怒り出すファンにも慣れた涼は心持ち受話器を耳から離した。が、今回の相手は今までとは一味違っていた。

「でもリハーサルの日なら知ってますよね?」

「存じあげません」

「そちらの体育館を使うのに知らないなんて、そんなはずないでしょう。いつなんです?」

「お答えしかねます」

「やっぱり知っているんですね」

 優越感の滲んだ声。涼の不快指数は急上昇した。

「演奏会に関してのお話はいたしかねますので、ご用件がそれだけならば失礼いたします」と一方的に通話を終了させたのと、ケータイに連絡が入ったのは同時だった。

 琴音からのメールだった。予想通り、席は開始十分後に埋まったらしい。

 早速ツイッター、事務所の公式サイトでも予約終了の告知。念押し程度に学校ホームページにも受付終了の告知文を掲載。

 ひと段落ついたところで涼はふと思う。

(一般用の席ってたしか五百はあったよな?)



 さらにその二週間後。涼は裏門の前で待っていた。吉良醒時を、ではない。彼が来るのは明後日だ。

「すごいですよねー」同じく出迎えの役を仰せつかった理恵が呟く「専用ピアノなんて……ほんと一流は違いますね」

 不相応であることにまず気づいてほしかった。涼はおざなりに「そうですね」とだけ呟いて遠い目をした。音響効果など全く期待できないただの箱もとい体育館で演奏するなんて、向こうにしてみれば前代未聞だろう。本人が来る明後日が恐ろしかった。

「あ、来ましたよ」

 理恵が指差した先にトラックの姿。大型楽器の搬入は何度か立ち会ったことがあるのでここまでは許容範囲だった。そう、ここまでは。

「なんで先導車があるんですかね?」

「バイクもついてますよ。箱根駅伝みたいですね」

 理恵はスマホを取り出し撮影を開始した。たしかに珍しい光景だった。あとでデータをもらおうと心に決めつつ、涼はバイク二台と車一台、そしてトラックを駐車場へと誘導した。

「本日はよろしくお願いいたします」

 車から降りた代表者と思しき方が折り目正しく一礼。これまた先日ご来校された護衛の人を彷彿とさせる体格のいい男性だった。

「こちらこそよろしくお願いいたします」

 よろしくも何もただピアノを設置する場所――体育館のステージまで案内するだけなのだが。涼は居心地の悪さを覚えながらもピアノ設置チームを先導した。油断なく周囲を見回す男性は、どこぞのSPのようでもあった。

 箱根駅伝だってここまで警戒しないだろう。極秘ミッションを遂行するかのごとく速やかかつ厳重な警備態勢で吉良醒時のピアノは搬入された。

「ピアノ様のおなーりー」

 理恵の冗談に反応する気力も涼には残されていなかった。

 無事に搬入を終えたピアノは体育館ステージの脇に。防護カバーを掛け、さらに防犯用のケース――と言えば大したことのないように聞こえるが、高さ約百センチ、間口約百五十センチ、奥行き約百八十センチのピアノをすっぽり包み込むケースだ。その大きさは規格外だった。そもそもピアノを丸ごと包むケースなんぞ涼は生まれて初めて目にした。

 もはやそれは、楽器というよりは芸術品の扱いだった。厳重に施錠しピアノ運搬チームの代表者は涼に作業が終了した旨を報告した。

「防弾はもちろん、防火対策もしておりますので、ご心配なく」

 訊いてもいないことまで教えてくださり、涼はどこから突っ込めばいいのかわからなくなった。

 とりあえず――琴音には一言、言っておこうと心に決めた。

(あのブラコン……っ!)

 無論、琴音に対して抱いていたささやかな尊敬は、この時点で木端微塵に粉砕されていた。


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