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   (その四)暴力的なまでの引力を伴います

 そして土曜日、鬼島天下は実家を訪れていた。当初はぎこちなさがあったが、やはり生まれ育った家。交流が復活して一ヵ月も経てば、段々と過ごしやすくもなる。今週の土曜から月曜まで、実家に滞在するつもりだった。

 パズルゲームを黙々とこなす統の傍ら、天下は漢訳に勤しんでいた。が、全くと言っていいほど頭には入ってこない。当然勉強も遅々として進まない。原因は明白だった。

 わかっている。恭一郎より半ば押し付けられた招待券は財布の中。今日が演奏会の日であることぐらい覚えている。

(俺が行ってどうすんだ)

 出演するのだから恭一郎も当然、会場にいるはずだ。涼のことを誰よりもよく知る『兄』がいるなら天下の出る幕はない。

 なにせ自分は『大嫌い』な生徒に過ぎないのだから。

 天下は額に手を当てた。自分で思い出して傷ついているのでは世話がなかった。顔も見せないと約束した以上、今度こそ――もう何回も破っているので有効なのかどうかはわからないが、守る努力はするべきだった。

 しかし、その『大嫌い』発言も涼の本意とは思えなかった。自分を諦めさせるためにあえて憎まれ役を買って出たのかもしれない。前科があるだけに否定できない。大好きなカルメン役ですら、興味がないふりして手放す女だ。いや、それも振られた男の現実逃避かもしれない。

(……思い出すな)

 全ては都合の良い解釈の産物に過ぎないのだ。あいつは最初から自分を相手にしていなかった。明らかに普通科の生徒を見下していた。本格的に音楽を教えたところで無意味だと。だから巻き舌も教えなかった。オペラだって、いつもさわりしかやってくれなかった。非常に失礼な話だ。

 最初から理解できるはずがないと決めつけて、諦めて。

 真っ直ぐに、哀しいほどに張り詰めた背中に天下はいつも焦燥感を覚えていた。傷つけてでも認めさせたい衝動に駆られる。そんな生き方をしているから。

 だからあんたは孤独なんだ。弱味を見せたっていいじゃねえか。少しは頼れよ。高校生のガキにだって背負えるものはあるんだ。

(駄目だ。考えるな)

 天下が差し出した手を拒んだのは当の涼だ。あの女は自分なんかよりずっと大人で、強い。一人でも平然と生きている。ああして大勢に責められようとも立ち向かっていく。誰かの支えなどいらない。大切にしている『兄』との絆さえあれば、他のものなど必要ないのだ。

 本人にも言われたではないか。

『放っておいて』

 それが涼の本音なのだ。彼女の中に他のものが入り込む余地はない。

 与えたい、慈しみたい、守りたい、というのは全て、天下の独り善がりに過ぎなかった。

(ちくしょう)

 天下は呻いた。

(ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょう、どちくしょう!)

 可愛さ余って憎さ百倍とはよくも言ったものだ。天下は涼が疎ましくて、憎くてたまらなかった。

 今に始まった感情でもない。好きである以上に天下は涼を忌々しく思っていた。一人で生きているかのように肩で風切る姿も、澄ました顔で他人に高説垂れるのも、嫌いだった。他人の家庭事情には首を突っ込むくせに自らのことには立ち入らせない。他人の心を捕らえて離さないくせに拒絶しやがって。自分だけで抱え込んで悲劇のヒロインぶって悦に入って。ふざけんな。お前なんか、てめえなんか──天下の奥歯が鳴る。焦燥感は増すばかりでとどまることを知らなかった。

 ああ全くもう! 天下は衝動に任せて起き上がった。


 放っておけるのなら、どれだけいいのだろう!!


「……ちょっと、出てくる」

 返事の代わりに統は鍵を突き出した。鈴のついた鍵。統が通学に使っている自転車を貸してくれるらしい。行き先は、言っていないはずだが。天下は素直に鍵を受けとった。

「たぶん、夕飯までには帰る、と思う。もしかしたら早々に追い出されるかもしんねえ」

「ん」

「メールする」

 統は頷いた。その頭を軽く小突く。世間一般の人よりも言葉足らずで表情豊かでもないこの弟を知るには、僅かな変化をも見落とさずに感情と意思を読み取るしかない。理解するには根気を要する。そのせいか統は非常に察しが良かった。

「俺、お前が弟で良かったわ」

 相手の全てを受け入れるなんてのは初めから無理だったのだ。気に食わないものは気に食わないし、腹が立つのは事実。理解するにも受け入れるにも面倒で困難で、長い時間を必要とする。しかし、そんな奴に惚れてしまったのは他ならぬ自分だった。


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