(その六)世の中の半分は理不尽でできています
お目当てのCDを見つけた直樹は早々に資料室を出ていった。やけにあっさりと引き下がる潔さに内心首を捻っていると「お時間取らせてすみません。昼飯、ちゃんと食べて下さいよ」と本人から釘を刺された。
知っていたのか。香織は全く気付かなかったというのに。
「ありがとう。お言葉に甘えていただくよ」
年下である直樹に気遣われたことに対する恥ずかしさと、ほんの少しの嬉しさが入り混じり、涼は口を綻ばせた。教室棟へ戻る直樹を見送り、資料室を整理してしっかりと施錠。せっかく思いやってくれたのだから一口くらいは弁当を食べておこうと、音楽科準備室へ足を向けた。
が、進行方向からやってくる人物に涼の顔が強張る。
「顔を見せないんじゃなかったのか」
「あんたが見たくねえ、って言うならな」
正直言うと今はあまり見たくはない人物――鬼島天下はふてぶてしく訊ねた。
「顔も見たくねえか?」
涼は脱力した。自分の努力は一体何だったのだ。『大嫌い』とまで言わせておきながら変わる素振りもない天下に腹が立つ。どこまで自分を悪者にすれば気が済むのだろうか。
「上原は? 一緒じゃないのか」
「用が済んだから教室に戻った。そんなことを訊きにわざわざ資料室まで足を運んだのか」
こいつもか。涼はやるせなくなった。天下でさえもそういう目で自分と直樹を見ている。信じていたわけでもないのに、裏切られたような気になった。
「いや、厄介者が消えて、さぞかし面倒ごとが減ったろうと思って様子見に来ただけだ」
天下はこれ見よがしにため息をついた。
「結局面倒なことになってんじゃねえか。ふらっふらしてっから、そんなことになんだ」
「私は、これ以上ないくらい明確に意思表示したつもりだが?」苛立ち紛れに余計な一言を添えた「少なくとも君に関しては」
「どうだか。俺だって消化不良だ」
天下は首に片手を当てた。関節が鳴る。不機嫌な時に見せる仕草だった。
「あんた、以前に生徒は対象外だって言ったよな? だから俺がいくら言ってもまともに取り合ってはくれなかった」
涼は沈黙し、渋々肯定した。天下の言わんとしていることを察したからだ。生徒であるのを理由に天下を特別扱いしなかったのは涼だった。それどころか、彼には資料室に入ることすら許さなかった。そして実のところ、天下が音楽科準備室までやってきた回数は大してない。涼が、嫌がったからだ。
「おかしいじゃねえか。なんで奴だけ特別待遇なんだよ。そんなだから贔屓だって陰口叩かれんだ。あんたも成長しねえな」
遙香と佐久間のことを持ち出されてしまっては、反論できなかった。軽率さは自覚している。上原直樹は生徒で、自分は教師なのだから。天下の言うことはもっともだった。だが、押さえ込もうとする理性になおも抗うものがあった。
そんなに責められることなのか、と。
「人前で手繋いだり、教師と生徒が二人でこそこそ話してたら、周りがどう思うかくらいわかんだろ。ガキじゃあるまいし──」
「恥ずかしい?」
天下の言葉を遮り、涼は訊ねた。自分でも驚くくらいに冷静な声だった。
「私が、八つも年の離れた生徒と話すのは、そんなに恥ずかしいこと? 付き合ってもない二つ年上の男性と仲良くするのは、責められること?」