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五限目(その一)人の噂も四十九日です


 結局、千夏とは遭遇することもなく文化祭はつつがなく終わった。一週間も経てばどことなく浮足立っていた生徒も落ち着きを取り戻す。三年生のほとんどは部活を引退し、受験モードへ一斉切り替え。それでも涼は変わらなかった。

 声楽専攻生に歌を教え、普通科の一年生には音楽の触りを教える。放課後は合唱部の指導に訪れる生徒達の対応──どういうわけか、担当科以外の生徒の相手がやたらと多いのも相変わらずだった。

「先生、鬼島のこと振ったの?」

『担当科以外の生徒』筆頭の訪問者、矢沢遙香は突然準備室に押し掛けるなり、開口一番訊ねてきた。

「あ、勘違いしないでください。私は先生が鬼島を振ろうが付き合おうが先生の自由だと思っています。ただ、事実確認をしておきたいだけです」

「付き合ってない」

 母校でのアレを振ったと分類するのなら、最初の質問は「応」なのだが、そこまで詳細に報告する必要性を、涼は感じなかった。まだ日はあるとはいえ、冬の定期演奏会の準備も本格的に始めなくてはならない。遙香を片手間にあしらいつつ、練習日程表を作成する。

「君は一体何をしに来たんだ」

「ちょっとお耳に入れといた方がよろしいかと思いまして。今、うちのクラスでも耳にするんですよね」

 眉を寄せる涼の前で遙香は指折り挙げた。

「えーと、まずは佐久間先生でしょ? それからこの前うちに来た大学の先輩、んでもって今度は普通科の一年生」

「何が?」

「先生の恋愛変遷。さすがに一年のガキンチョ相手にどーこーなるとはみんな思わないみたいだけど『男好きでお気に入りには特別待遇』とは言ってるみたい」

 涼は天井を仰いだ。遙香の台詞を頭の中で反復する。

「つまり、私に対するよからぬ噂が横行していると?」

「そうですね」

 遙香は涼の様子を伺うように首を傾けた。

「気づいてました?」

「どうしてそう思う」

「あんまり驚いていないみたいだから」

「すごく驚いてます」

 時々忘れそうになるが遙香は三年生、すなわち受験生ではなかったか。

「噂になるほど生徒達に興味関心を持たれていたとは思わなかった」

 他に興味関心を示すべきものがあるはずだ。大丈夫なのか今年の三年生。他人事ながら涼は心配になってきた。

「文化祭がきっかけみたいですよ。先生、手繋いでたんだって?」

 心当たりは一つしかない。原因は今頃、合わせ練習中。しばらく日本に滞在すると先日言っていた。前科があるのでどこまで信用できるかわかったものではないが。

「大学の先輩で幼馴染だよ」

「周りにはそう見えないってことですよ。高校生は妄想たくましいから」

 そうですか、と涼は気のない返事をした。

 突き放したことを言えば、受け持ちでもない他学科の生徒がいくら騒ごうと涼には大して影響がなかった。おまけに遙香達は三年生。半年後には学科からいなくなる連中だ。

「ご忠告ありがとう。気をつけるよ」

 と言うのも、わざわざ教えてくれた遙香に対する社交辞令だった。遙香は半目になる。

「それだけ?」

「あいにく勝てない喧嘩を買うほど情熱家ではないもので」

 古今東西の歴史が示す通り、数の力には敵わない。いずれ関係がなくなるとわかっている相手にわざわざ弁明をする必要も、効果も期待できない。それを涼は経験上、知っていた。

『カルメン』の時が最たる例だ。自分と恭一郎の関係は、世間一般では『異常』に分類されることだった。我を通さずに、黙って引き下がれば丸く収まる。ただ、自分が耐えれば。

 他人に理解を求めるよりは、ずっと簡単なことだった。


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