(その六)兄の直感は海をも越えるのです
「はい、ここまで」
一触即発の状況を呑気な声が打ち破る。
「思ったより広いね、この学校。地図をもらって大正解だったよ」
入口でもらったと思しき文化祭のパンフレット。突然の乱入もそうだが、方向音痴な恭一郎がこの学校まで辿りつけたのが驚きだった。
「どうしてここに?」
「一般公開日に僕が来てはいけないのなら、まず名称を改めるべきだ。誤解をした多数の一般人が現在、この学校の至るところを闊歩しているよ」
「そうじゃなくて、帰国は来週じゃなかったのか」
一昨日のメールではたしか、そうなっていたはずだ。指摘すれば、恭一郎は悪びれもなく「当初の予定はね」と認めた。
「でもそのあと考えたんだ。僕の方向感覚はたまに、そう、ごく稀にだが狂うことがある。この前の校内演奏会ではそのせいで君にご足労をかけてしまった。非常に低いとはいえ、今回も同様の事態を引き起こす可能性はないとは言い切れない。余裕を持って来るのが得策かと」
一通りの言い訳に耳を傾けてから、涼は腕を組んだ。胡乱な眼差しを注ぐ。
「要するに?」
「いきなり顔を出して驚かせようと思った」
子供染みた発言に、ラムネを取り落としそうになった。
「驚かされました」
「それは良かった」恭一郎はにっこり微笑んだ「でも僕も驚いたよ。まさか学校で堂々と逢引しているなんて」
「してない」
「俺はしたいけどな」
余計な口をはさんだのは天下だった。不機嫌丸出し。挑発的に恭一郎を見据える様は、まるで宿敵と相対しているかのようだった。
「邪魔してごめん。次からは気をつけるよ。次なんてないと思うけど」
天下のこめかみが引きつる。対照的に爽やかな笑顔を浮かべる恭一郎はトドメの如く別れを告げた。にこやかに。
「じゃあ、僕たちはこれで」
右手に涼の腕を、左手に鞄を取り、有無を言わせず恭一郎は連れて離れた。普通科と思しきの生徒の集団を横切り、階段を下りる。すれ違う人の視線が微妙に痛い。珍獣を見かけたかのように足を止め、目を見開く者までいる始末。
「どこに行くつもり?」
「僕は人気のあるところに行くつもりで歩いてる」
歩みは止めずに恭一郎は答えた。
「だから人気のないところに辿り着くと思う」
宣言通り、ようやく足を止めた場所は中庭の、人の気配が全くない特別棟の陰だった。方向音痴の意外な使い道に、場違いだとは思いつつも涼は感心した。