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   (その五)妹の心、兄は結構知ってます


 恭一郎はバスに乗ると千夏と直樹には一切触れず、自分のことを話した。

 今日は母校に顔を出して恩師に挨拶。ついでに琴音にも会って軽くお茶したらしい。他愛もないことばかりだった。もしかしなくても涼の心情をおもんばかったのだろう。

 昔から恭一郎は察しが良かった。そうならざるを得なかった、と言った方が正確か。

 幼い時に両親を失った恭一郎は親戚中をたらい回しにされて、施設に預けられた。彼にとっては血の繋がった家族も養護施設の職員も、自分を『養ってくれる』人で、同列だ。だから無神経に振る舞うことができない。たとえそれが家族であろうとも。

 どことなく天下に似ているかもしれない。猫かぶりな点も含めて。

「そういえば昨日の演奏会だけどさ。君の教え子も来てたね。鬼島君だっけ?」

 以心伝心かはたまた偶然か。恭一郎も同じようなことを考えていたらしい。突然降ってきた天下の話題にも涼は無難に応じた。

「我が校きっての優等生だよ。弟も音楽を選択してるから、何かと接点があってね」

 へえ、と恭一郎は呟いた。

「彼、似てるよね」

「うん」

「涼に」

 これにはさすがに意表をつかれた。むしろ、似ているのは恭一郎ではないのか。

「私に?」

「僕に似てるとでも思った?」

 恭一郎は軽く笑みさえ含んで付け足した。

「もしそうなら彼はやめておいた方がいい」

 バスがロータリーを大きく旋回。涼は支え棒を掴んで遠心力に逆らった。やめるも何も、天下は生徒で自分は教師だ。何度となく口にした言い訳はしかし、恭一郎の前では意味を成さなかった。

「今度は琴音から?」

「彼女が僕に教えるものか」恭一郎は苦笑した「僕に先越されたからってイタリア留学を断固拒否するような娘だよ」

 恭一郎が大学生最後に出演したオペラ『カルメン』のプリマドンナは琴音だ。どうしたことかそれ以来、両者の仲は悪いとまではいかないもののお互いに対抗意識がある。

「今日はわざわざ二人で近況報告ならぬ近況自慢をしたわけか」

「僕の勝ちだな」

 賭けてもいい、琴音も自分の完全勝利だと思っているに違いない。

「話が逸れたけど、僕はシスコンじゃあるまいし妹の恋愛に関しては寛容だ。『カルメン』然り『トスカ』然り、古今東西のオペラが示すように他人の説得ごときで愛をあきらめる人は滅多にいない。障害なんぞを用意しようものなら、破滅しようと愛を貫く起爆剤になるのがオチだ」

「あっさりあきらめられたら盛り上がりにも欠けるしね」

「……まあ、着眼点の相違はこの際置いておこう。とにかく僕を妹の恋路をいちいち邪魔するような狭量な男と思わないでくれたまえ。君の家族として喜んでお赤飯を炊いてあげよう──もしそれが、本当に愛や恋だというのなら」

 バスが止まった。乗客の波に流されるように涼は降車。それに恭一郎も続いた。

「君は、生徒は恋愛対象外だと思っている。なのに鬼島君は突き放し切れていない」

 やはり琴音だ。あのおしゃべり。それとも恭一郎が上手なのか。たとえ琴音に教える気がなくとも、恭一郎ならば探りを入れて情報をかすめ取るくらい平気でやる。簡単なことだ。事情を知っているふりをして、話を振ればいい。琴音も不自然には思うまい。何しろ恭一郎は涼にとって兄同然なのだから。

「探偵か、あんたは」

「隠されると暴きたくなる質であることは否定しない」

 駅の改札機が見えてきたところで、涼は立ち止まった。ああそう言えば彼女もそうだった。とにかく人の機微には聡くて、鋭かった。

「詳しくは知らないけど察するに、君は何らかの拍子に鬼島君に自分との共通点を見出した。だから引き離すことができなくなった」

「同情したんだよ」

「それはどうだろう? 憐憫と同族意識は違う。ほんの僅かな、でも君にとって重大な点が一緒だから、全部同じだと思い込んだんじゃないのかな」

 涼は苦笑した。そのつもりだった。が、ひきつって歪なものにしかならなかった。何もここまで似なくても。彼女の息子──正確には甥だが、と娘『のような者』との決定的な違いを見せつけられた気がした。

 急速に距離が縮まったのはいつだろう。今となって考えれば、やはり天下の家庭事情に関わってしまった時かもしれない。彼の抱える疎外感は幾度となく涼も味わったものだ。だから同情した。天下の心情を涼は理解できたから。

 その裏にあるのは、自分が理解できる悩みを持つ天下ならば、逆に自分の孤独やジレンマを理解してくれるのではないか、という身勝手な期待だ。

「自分と同じだと思っているから君はついすがってしまう。同じなら、わざわざ説明や弁明をしなくても理解してもらえると思ってる。でも涼、残念だけど同じ『ような』人はいても同じ人は存在しないんだよ。無理に当てはめようとすれば歪みが生じる」

 そんなことは知っている。恭一郎がいくら涼と似た境遇でも、彼には彼女という本当の家族がいたのと同じことだ。天下にだって家族がいる。盲目的にまで慕ってくれる実の弟がいる。

「仮に鬼島君と交際しても、いつかは失望する。彼が自分とは違うことに気づき、君はきっと落胆し傷つく」

 だから賛成できない、と恭一郎は言った。

「涼、自分と同じ部分しか受け入れられないのなら、それはただの固執だよ」

 帰宅途中の会社員と肩がぶつかる。説教するなら、せめて場所を考えてほしかった。人の行き交い激しい改札口でわざわざ足を止めてする必要性がどこにある。

(……天下もそうだったな)

 初めて面と向かって『好きだ』と言われたのは地下鉄駅の改札機前だった。情緒がないとたしなめた記憶は今でも鮮明だ。その時自分の手を掴んだ強さも、必死な形相も、真っ直ぐな眼差しも──どこが同じなのか。

(前言撤回。やっぱり違う)

 全て、自分の思い込みに過ぎなかったのだ。


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