三限目(その一)性格はなかなか治りません
「あんたなんか大っ嫌い」
頭上から声が降ってきて、涼は顔を上げた。晴天の昼下がり。食事をしつつ会話に花を咲かせる大学生達とは少し離れたベンチで、焼きそばパンをかじっていた時だった。
目の前に仁王立ちする女性。育ちのいい猫のような顔をしていた。水色のワンピースをこれまた上品に着こなしている点から、お嬢様であることは間違いない。涼からすれば音大に通う学生は皆お嬢様だ。
「断ったんだってね? カルメン。ありがとう。おかげで私が代役を引き受けることになったわ」
礼しては声に棘があった。納得がいかないのだろう。自分がおこぼれに預かったという事実に。涼は咀嚼していたパンを嚥下した。
「どういたしまして」
大きな目を吊り上げる様にはそれなりの迫力がある。平手か、それとも引っ掻いてくるのか、涼は身構えた。内心では馬鹿正直に第二候補であることを本人に教えた教授を罵倒する。いかにもプライドの高そうな顔をしているじゃないか。少しは気を使え。
「本当、腹が立つ」
彼女は腕を組んだ。
「一人で何でもできますって顔ですまして、クールに格好つけて、あんた何が楽しくて音楽やってんの? 自分の世界に閉じこもって悦に浸ってんじゃないわよ。気色悪い」
面と向かってそこまで言われたのは初めてだ。それも、初対面の人に。呆然としていたら、彼女は鞄からペットボトルを取り出し、蓋を外すと中身をぶっかけてきた。次に鞄から出たのは真白のタオル。それを涼に投げつける。
「ほら、少しは怒りなさいよ。片手間だなんて冗談じゃない。必死こいてやりなさいよ」
言うだけ言って、彼女は背を向けた。そして二度と振り返らなかった。
華奢な背中が図書館に消えるまで、涼はしばし呆気にとられていた。ふと我に返り、膝元に転がったそれをつまみあげる。スポーツタオル。これで拭けということか。わけがわからない。だいたい、大して濡れてはいない。おまけにミネラルウォーターだ。まさか涼にかけるためだけに買ってきたのだろうか。
ありがたくスポーツタオルで顔を拭う。ところでこれ、返すべきなのだろうか。また厄介なことになりそうだと予感しつつも、返さなくてはと心のどこかで思った。
向けられるものが負の感情であれ、何であれ、ぶつけられると応じてしまう。押されたら押し返す。引かれたら引き返す。単純だと自分でも思うが、性分は変えられない。昔も今も、無視して流す、ということが涼にはできなかった。
だから、鬼島天下のように曖昧なものを向けられることが、一番対応に困るのだ。