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   (その十一)意外に複雑なのです

「神崎」

 噂をすればなんとやら。第二音楽室から現れた涼は天下の姿を認めて一瞬、怪訝な顔をした。

「やあ涼、お疲れ様」

 朗らかに応じた恭一郎に対し、涼は素っ気なく「お疲れ様」と返す。

「お疲れのところを申し訳ないけど、改めて主任に挨拶して。音楽科準備室にいるから」

 言葉の割には涼の口調には遠慮が全くなかった。気の置けない仲。大袈裟に肩を竦める恭一郎もまんざらではなさそうだ。

「これだから教職は……人使いが荒いねえ」

「黙れ迷子。ただでさえ忙しいのに駅まで迎えに来させやがって」

「そう、それだ」

 恭一郎はしきりに頷いた。

「言いそびれたけど、さっきはどうもありがとう。僕の危機を察してわざわざ迎えに来てくれる君の愛には感動したよ。舞台の上だったらアリアの一つでも熱唱しただろう」

「社会人になっても一人じゃ学校にたどり着けないあんたに私は失望したよ。最寄り駅にまで着いたのになんでバス停を間違うのかな?」

「不思議だねえ」

「まったく不可解だね」

 皮肉をもろともせずに恭一郎は涼の肩を軽く叩いた。琴音と同等──いや、それ以上の気安さに天下は眉を顰めた。

「あの、お二人は同大なんですか?」

「そうだよ。同じ声楽科でこの人は二つ上の先輩」

 それにしても親し過ぎやしないか。涼が嘘をついているとは思えなかったが、全てを話しているとも思えなかった。

「物心つく頃からの縁なんだ。小学校も、中学校も一緒だったし」

 恭一郎が補足する。それでようやく天下は納得した。琴音よりも気兼ねないわけだ。

「幼なじみなんですね」

 天下にしてみれば他意のない一言にしかし、涼の顔が強張った。

「あー……まあ、そういうことになりますかね」

 歯切れが悪くおまけに敬語口調だ。これで不審に思わない方がおかしい。追及しようと天下が口を開きかけたその折──

「兄妹だよ」

 はっきりと、言った。

 弾かれたように涼は恭一郎の方を向く。隣のあからさまな動揺にも恭一郎は頓着せず、天下を真っ直ぐに見据えた。挑むような眼差しだった。見られているこちらがたじろぐ。

「え、でも……」

「音楽科準備室は下だったよね。先行っとく」

 何事もなかったかのように恭一郎は言った。朗らかな笑顔が向けられるのは涼に対してだけだ。天下のことなどもはや眼中にない。疑問を差し挟む余地すら与えずに恭一郎はきびすを返す。

 気に食わなかった。その背に向かって「階段下りて右だよ」と念を押す涼も、また。

「納得できないって顔しているね」

 涼は少し困ったように微笑んだ。聞き分けのない子供に対するのと同じ態度に天下の不快感は増した。

「理由を訊いていいか?」

「どうぞ。君が思うほど大したことじゃない。口にしてしまえば至極簡単だ」

 と前置きしてから、涼は淡々と語り出した。

「私も神崎も養護施設で育った。あいつは親戚に引き取られて施設からは出ていったけど、その後も家が近かったからずっと一緒だったよ。私は親も兄弟もいないから、ああやって『兄妹』だと言ってくれてる。だから幼なじみと言うよりは兄『みたいな人』と言った方が的確だね。もちろん血は一滴も繋がっていないし戸籍上も赤の他人だ。同じ大学で同じ声楽科に入れたのは幸運だったけど、私は育英会からもらった奨学金返済が免除になるという不届きな理由で教師を目指して、あいつは逆に金にものを言わせてイタリアへ留学したから会うのは年に数回になりました。はい、おしまい」

 あらすじを語るかのごとく一気に語られてから「な? 単純だろ?」と言われても天下は答えることができなかった。

 養護施設。親がいない。一般的とは言い難い単語に言葉を失う。

 想像だにしていなかった。『そういう人もいる』と知識はあっても、実際に知っていたわけではない。家族のいない子供がどう生きて教職の道を歩んだのか。今でも天下には想像することさえできないのだ。あまりにも自分とはかけ離れていて。

 知らないことは多くあった。しかし天下はそれ以上、涼に訊ねられなかった。当然のことのように語る涼だから、なおさらだった。

「そうか」

 平然を装って呟いた。聞いてはいけないことを聞いたような気がした。安易に踏み込んでしまった罪悪感が胸を占める。

「悪かったな」

「どうして?」涼は首を傾げた。「君が謝る理由はどこにもないよ」

 稚さの残る無防備な仕草だった。皮肉でもなく、心からそう思っているのがわかる。天下には責任のないことだと。涼の意思を正確に汲み取ったが故に天下は苦しくなった。

 責任がない。つまりそれは、関係もないということだ。


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