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   (その十)第一印象が九割を占めます

「ああ、ごめん。深刻な顔で見ているから、何かあったのかと思ったんだ」

 悪びれることなく微笑んだ男の顔には見覚えがあった。ついさっき舞台上で、だ。テノール。エキストラとして呼ばれていた神崎恭一郎だった。同じ正装姿でも本番時とは違ってどことなくおっとりとした雰囲気だった。おそらく、これが素なのだろう。

「元々、こういう顔です」

「そうみたいだね」

 柔らかい微笑に、天下は警戒心を強くした。普段自身がやっているだけに、こういう胡散臭い笑顔には敏感だった。一見人畜無害そうでいて隙がない。

「もしかして君、涼の教え子?」

 渡辺涼の名前を正確に知っている。天下の中で警鐘が鳴った。かなり親しい間柄と見て間違いない。警戒心をおくびにも出さずに天下はそつなく答えた。

「普通科の三年です。芸術選択で、渡辺先生には一年教わりました」

「へえ、音楽に興味があるのかい?」

「……多少は」

 的確に言うならば、涼があれほどの情熱を注ぐものに興味があるのだ。しかしそんなこと、初対面の恭一郎に言えるはずもない。深く追及される前に天下は話題を逸らすことにした。

「渡辺先生は、てっきりソプラノだと思ってました。ソプラノとアルトってそんなに変わらないものなんですか?」

「いいや、全然違うよ。そもそも涼はアルトじゃなくてもメゾソプラノ」

 恭一郎は襟を緩めた。無造作な仕草に手慣れたものを感じた。

「ただ、ソプラノとアルトみたいに音域が明確にわかれているわけじゃないから、一般の人には判別つかないかもしれない。要するに音質だよ。声が華やかだとソプラノ。陰りがあればメゾ。より厚くて深みがあればアルト」

「声楽では重要なことですよね」

「形が似ていてもヴァイオリンはヴィオラにはなれないのと同じくらい」

「腹立ちますよね、間違えられていたら」

「少なくともいい気分はしないだろうね」

「普通、訂正しませんか?」

 ほんの少しだけ考える素振りを見せつつも、あっさりと恭一郎は言った。

「面倒だったんじゃないかな」

「め、面倒って……」

 天下は言葉を失った。だがしかし、自分の名前すらも「リョウ」のまま通しているような女だ。ソプラノと称される度にいちいち「いえ、メゾソプラノです」と訂正するとは思えなかった。

「別にみんなで合唱するわけじゃないんだ。自分の声音を多少間違って覚えられようとなんの支障もない。音楽科の教師はメゾだってことを知っているだろうし、それで十分だよ」

 そう、渡辺涼はある一点において実に諦めの早い人間と言えた。他人の理解を必要以上に求めない。遙香や琴音のことならいざ知らず、自分に関しては誤解されても弁明しようともしない。自分の立場、状態、思考を理解してもらおうなどとは最初から考えてもいないようでもあった。故に他者と一線を引いているように感じさせるのだろう。

 天下に対してさえも、その態度は変わることがなかった。


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