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   (その五)臆面もなく言える人もいます

 次のバスが来るのは十五分後。時計と時刻表を何回見ても結論は変わらなかった。

 駅までは歩いた方が早い。ちょうど昼休みだし、幸いにも五限目は校内演奏会の準備時間で受け持ちの授業もない。昼休み中に学校に戻ればいい。算段をつけると、涼は駅への歩みを開始した。

 梅雨は早々に明けて夏を迎えようとしていた。暑さの中では、五分もしない内に冷静さは取り戻される。鞄を引っさげ飛び出すように学校を離れてしまった失態が、周囲にはどう映るか。直樹や統はかなり不審に思っただろう。だが、一度染み付いた焦燥感はたやすく拭い去れるものではなかった。ともすれば駅へ駆け出してしまいそうな自分を諫める。

 今日のように快晴の日は特にいただけなかった。青々とした空は嫌でも大学在学中最後の定期演奏会のことを思い起こさせる。

 交差点で信号待ちをしていた折、背後で引きつるようなブレーキ音。歩行者用道路で生意気な、とは思うものの、習慣で涼は脇によけた。信号が青になったら先に行かせるつもりだ。

 進路を空けてやると、自転車は涼の隣へ滑り込んできた。ペダルを漕ぐ足は黒の学生服を纏っている。

(──学生服?)

 視線を下に向けたまま、涼は固まった。

「こんにちは、先生」

 ぎこちなく顔を上げた先には、似非優等生がいた。これまた素敵な笑顔で胡散臭い。

「学校はどうした」

「その言葉、そっくり先生にお返しします」

 天下は自転車から降りた。サドルの後ろに荷台がある、いわゆるママチャリだ。

「いつから自転車通学になったんだ君は」

「俺のじゃねえよ。統のだ。借りた」

 期せずして情報源まで察しのついた涼は空を仰いだ。天下は悪びれる風もない。

「音楽の授業がなくなった時はどうしようかと思ったけど、意外に繋がりはあるもんだな」

 涼にしてみれば伏兵だ。関わらなければやがて薄れていくと高をくくっていただけに、余計。

「……まさかとは思うが、弟君に音楽を選択するように薦めたりなんてことは」

「だとしたら、先生は嬉しいですか?」端整な顔に酷薄な笑みが張り付く「俺がなりふり構わず先生との繋がりを持とうとしたら、弟を利用してまで口説きにかかったとしたら」

 顔に熱が集中する。見透かしたような口振り。事実、自分が喜ぶかはともかくてして、天下ならばやりかねない──そのくらい自分を好いているのだと涼は思っていた。自意識過剰は否めなかった。

「教師をからかうな」

「本気だって言っただろ」

 駆け引きだと、天下は言った。

「押すばかりじゃアンタは逃げる。多少の駆け引きは必要だろ。そして駆け引きは常に選択を迫る」

 自転車のサドルを軽く小突く。

「さて問題です。ここに自転車が一台あります。駅まで徒歩で二十分。自転車なら十分。どうしますか?」

 楽しんでいるのは明白だった。子供染みたことを言って、こちらの反応を見て面白がる。これが『からかい』ではなくてなんだというのか。

 涼は押し黙って横断歩道を渡った。

「意地張ってないで乗ったらどうですか」

「二人乗りなんてできるか」

「その断り文句『道路交通法に引っかからなければいい』とも聞こえますね」

 自転車を押しつつ天下はついてきた。走りこそしないが競歩並のスピードで進む涼と同じなのだから彼も相当なものだった。


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