(選手宣誓)加害者と被害者に分かれるとは限りません
体育館の角を曲がって校舎の裏へ。今日は球技大会の為、校舎内には誰もいない。体育館の喧騒が遠くなってようやく、遙香は涼を解放した。
「別れました」
誰と、と訊ねそうになって涼は口を閉ざした。わざわざ人気のない場所で、涼一人に報告する「別れ」とくれば、一つしかない。
「言っておきますけど、私から別れを切り出したんですよ?」
だろうな。遙香がこの期に及んで嘘を吐くとは思えない。あの優柔不断野郎に自分でこの不毛な関係に終止符を打てる程の決断力があるとも思えなかった。きっと始まった時からそうだったのだろう。好きになって告白したのも遙香。交際を始めたのも遙香から。だから終わりにするのも、彼女以外ではあり得ない。
「『どうして?』と訊くべきなんだろうね、私は」
「ええ、教師なら最後まで生徒に付き合って下さい」
茶目っ気たっぷりに言いながらも、遙香の表情は硬かった。
「他に、もっといい男でも?」
「違います」
「あいつに嫌気がさした」
「いいえ」
「親御さんにバレた」
「惜しいですね。半分正解です」遙香は非常口前の段差に座り込んだ「バレかけたんです」
よくあることだ。娘と今日遊んでいるはずの友人が、ショッピングモールで他の友人と楽しくお喋りしている所に母親が遭遇。互いに顔見知りならば挨拶ぐらいはするだろう。その同級生の輪の中に自分の娘がいないことにだってすぐ気付く。では、自分の娘は何処へ?
「しつこくて誤魔化すの大変でしたよ」
「お疲れ様」
適当に労いの言葉を掛ければ、遙香はほんの少し非難するように目を細めた。が、やがて力無く苦笑した。高校生には相応しくない、諦観を滲ませた笑みだった。
「そうですね。私、疲れちゃったのかもしれない」
こてんと、立てた膝の上で組んだ腕に頭を乗せる仕草は幼かった。だからこそ余計に不安定で儚かった。
「わからなくなりました」
言っていることに一貫性がないが、なんとなく涼は理解できた。
その日、遙香が帰宅したのは夕方の五時過ぎだという。常識の範囲内の時間と言える。
たしかに友達と遊びに行っていたわけではないが、佐久間と都内の水族館に行っただけだ。ラブホテルに行ったわけでも、夜遊びをしたわけでもない。ごく普通の健全なデートコース。しかしそれも、相手が高校生ではなく高校教師であるだけで、隠し通さなければいけないものになる。
問い詰める両親をはぐらかし、なんとか誤魔化したところで、遙香は不意に我に返った。
何のためにこんなに必死に隠そうとしているのか。どうして嘘を重ねなければいけないのか。いつまで続くのか――続けることができるのか。
「なんか色々考えたら……もう、駄目だなあって思ったの。好きだけど、これ以上は無理だって」
卒業したら、教師と生徒でなくなれば――それは夢想だ。卒業しようが高校生でなくなろうが「元・教師と教え子」という肩書は一生ついて回る。一生、だ。中休みもなければ、終わりもない。事あるごとに寄せられる偏見や軽蔑、あるいは無邪気で残酷な好奇の視線に耐えなければならない。弁明し続けなければならない。理解を求めて、説明しなければならない。それができないのなら、ひたすら身を縮めて生きる他ない。
普通の、世間的によくある同年代のカップルならば、全て必要のない努力だ。それだけに虚しさがある。他は許されて、どうして、と。
「私は、何も言わないよ」
涼は遙香の隣に腰を下ろした。
「君の望むことは何一つ言えない。もともと生徒と教師の恋愛には反対派だし、別れたと聞いて正直安心しているような薄情者だから」
向かいにそびえ立つ校舎。その壁の一点を涼は見つめた。すぐ傍らにいる遙香の顔を見ることはできなかった。
遙香の泣き顔を見たら最後、きっと憐れんでしまう。慰めてしまう。傷つかないよう、耳触りのいい言葉を並べ立てて誤魔化してしまう。そんな「優しい」自分がありありと想像できた。
ただの青春の一ページ。ほろ苦い恋の思い出として片付ける。さしずめ「周囲の理解を得られなかったがために成就しなかった儚い恋」とでも題して悦に浸ればいい。悪いのは理解を示さない周囲であって、自分達は被害者だと。そうすれば傷つかない。
しかし、それだけはできなかった。自分のためにも、遙香本人のためにも。




