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    (最終調整)何事にも予想外の事態はあります

 るてるて坊主もむなしく空は快晴。球技大会は滞りなく行われた。

 授業もないので暇を持て余していた涼は一年十組の様子を伺いに体育館へ。例の、参加を嫌がっていた女子生徒は涼の姿を認めると、コートの反対側からVサインをよこしてきた。なんだ、結構楽しんでいるではないか。拍子抜けしつつも涼は軽く手を振って応じた。

 女子生徒は涼の方までわざわざ駆け寄り、小さく耳打ちした。

「終わりましたよ」

「何が?」

「危険で野蛮な大会が、です」

 女子生徒が指差したスコアボード。それはもう見事なストレート負けだった。

「……へえ、初戦で負けたんだ」

「三年で現役バレー部員が三人もいるんじゃ仕方ないですよね」

 にっこりと無邪気な笑顔でのたまう女子生徒。涼は苦笑するしかなかった。

「指も手も無事で良かったね」

「ええ、とっても」

 対戦相手が聞いたら怒りかねない会話を交わしていたその折に「先生」と低い声に呼ばれた。

 何故事あるごとに現れるのかな。音楽科の領分にまで入ってくるなよ。内心ため息を吐きつつ振り返って、涼は軽く目を見開いた。そこにいたのは天下ではなかったのだ。

「鬼島君」

 同じ鬼島でも彼は弟の統だった。兄弟ならば声が似ているのも当然だ。疑いもせずに天下だと思った自分が恥ずかしかった。

 鬼島統は小さく会釈した。相変わらずの無表情だ。何を考えているのかがわからない。

「――と、上原君。二人揃ってどうした?」

 鬼島統と上原直樹。二人とも芸術選択は音楽で、よく一緒に話していたと、今さら涼は思い出した。

「先生を見かけたので。まだ試合まで時間もあるし」

 と愛想よく言った直樹とは先日口論したばかりだ。正確には、こちらが一方的に叱責して放置したのだが――嫌われる理由はあっても親しく話しかけられる心当たりが全くなかった。小首を傾げる涼に、直樹は「あ、そっか」と呟いた。

「先生、昨日部活に顔出さなかったから知らないんですね」

「何を?」

「俺、合唱部入ったんです」

 合唱部。つまり、自分が副顧問を務める合唱部に。

「君は他に……運動部に入っていなかったっけ? かけもちは結構大変だと思うが」

「弓道部は辞めました。お試しとはいえ、やるからには本腰入れてやらないと」

 涼は納得した。思いの他上原直樹という少年は素直な性格らしい。

「いや、でもなんで合唱部?」

「ロックとオペラは分野が違うけど、結局は声だろ? まずは発声から学ぼうかと」

 ゆくゆくはボーカル育成のためのレッスンにも通うつもりらしい。無論、高校にも通いつつ、だ。以前に比べたらかなり建設的な案と言えた。

「身体作りもあるって聞いたので、基本を抑えながら色々模索しようと思ってます。よろしくお願いします」

 折り目正しく一礼されてしまうと、涼としても断る理由はなかった。音楽科に転科するわけでもないので、深く考える必要もない。

「……まあ、これからよろしく」

 おざなりな返礼に対しても直樹は気を悪くしなかった。むしろ嬉しそうに「はい」と答えた。犬に喩えるなら尻尾を振っている状態だ。

 先日偉そうに批判した教師に、ここまで好意的になれるものなのか。涼はただ戸惑うばかりだった。

 突き放したつもりだった。現実を見ないで、自分の都合のよい幻想にしがみついて、まるでそれが正義であるかのような態度には嫌悪しか抱けない。勝手にやればいい。そして後悔しろ。あとは自己責任だ。

 直樹が悟らずにボーカルへの道を突き進んで悩もうが傷つこうが、涼にはどうでもよかったのだ。まして彼に嫌われようと構わなかった。自分は、教師として生徒に諭すべきことをしただけだ。

 嫌われるのを覚悟できついことを言っただけに、この展開は予想外だった。

 涼は首の後ろに右手を当てた。不快感とはまた違う、居心地の悪さを感じる。おかしい。何故こちらを真っ直ぐに見つめる直樹の顔を正視することができないのだろうか。天下にだって感じたことのない気恥ずかしさだった。

「リョウ先生」

 涼は顔を上げた。いつの間に現れたのか、矢沢遙香が浮かない顔で傍らに立っていた。一年十組の対戦相手は三年一組だから彼女がいたとしてもなんら不思議ではない。しかし、ただならぬ様子に涼はかける言葉を失った。

「今、ちょっといいですか?」

 疑問形でありながらも実際は決定事項だ。遙香は涼の袖を引くと体育館の裏側へ。

「あ、渡辺先生」

「上原君、ごめん。詳しい話は放課後に聞く」

 踏み出しかけた足を直樹は止めた。遙香に引きずられながらも涼は副顧問として釘を刺しておく。

「仮にも入部したのなら、練習はサボらないように」

 女子生徒に有無を言わせず連れて行かれるようでは、教師としての威厳は全くなかったが。


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