(強化訓練)気になる人は気にするものです
「お前のところの一年、合唱部に入ったんだって?」
亮太の問いに天下は「らしいな」と曖昧に答えた。
渡辺涼と上原直樹。二つの点が直結する可能性はない。仮にあったとしても部員と副顧問。何を思って合唱部なんぞに入部したのかは知らないが、涼との関連はないだろう。上原直樹が芸術科目で音楽を選択していたとしても、あの授業がきっかけで合唱部に飛び込むとは思えなかった。
渡辺涼は良くも悪くも好意を表に出さない教師だ。自ら「贔屓している」と言う矢沢遙香に対してさえ、他の生徒と変わらず接する。公正な教師ではあるが、とっつきにくくもある。生徒に好かれるタイプではなかった。
結論、やはり関連性は低い。
「また物好きな奴がいるもんだな。で、理由は訊いたのか?」
「興味ねえ」
全くないと言えば嘘になる。関連性が限りなく低くてもゼロではないのだ。しかし、去るものは追わずを信条とする天下としてはそう言う他なかった。
「ンなことよりも、ノート返せ」
手を差し出して催促すれば、亮太は鞄を漁り始めた。一週間前に出された古典の宿題は、今日の二限目に回収される予定だ。
「あれ? たしか昨日入れたはずなんだがな」
「忘れたとか言うなよ」
古典の三橋は学年主任を務めるだけあって締め切りには厳しい。宿題は授業開始時に集め、その後の提出は一切認めない方針だ。
「話聞いたよ。音楽科に部員取られたんだって?」
突如として乱入してきたのは石川香織だった。けしからんことに亮太は手を止めて応じる。
「耳早いな。どっから聞いたんだ?」
「うちの顧問が一年三組の担任だからね。以前から声楽に興味があったとかで、とりあえずお試しで入部したんだってさ」
不参加を装いつつも二人の会話をしっかり聞いていた天下は密かに安堵した。夢見るのは勝手だ。とっとと現実を見て、ついでに副顧問に厳しいこと言われて打ちのめされて辞めてしまえばいい。『お試し』がまかり通る程専門学科は甘くない。
「じゃあ仮入部か」
他人事である亮太は呑気に言った。
「期間は過ぎてるけど、事実上はそうだね」
「だとしても無謀だなあ」
「まあ練習場所には困らないから」
弓道部だって弓道場がある。運動部がどこもかしこも練習場所確保に苦労してると思うな。指摘しても怒りを買うだけなので天下は黙っていた。
先日も体育館の使用日程決めで運動部同士で揉めたのを知っている。三年にとって最後となる夏の大会。五分でも長く練習していたいと思う心情は理解できた。やっかみはどうかと思うが。
天下は教室の時計を見た。担任はまだ来ていないがSHRの時間は過ぎている。一限が始まるのもすぐだ。にもかかわらず、亮太は香織と談笑している。
「転科するわけじゃないから桜井先生も特に反対はしなかったみたい」香織は意地悪く付け足した「それに、また渡辺がしゃしゃり出たらしいよ」
「おい」
いい加減に古典ノート返せ、と言いかけた言葉が宙に浮いた。香織は今、何と言った?
「……ワタナベ?」
思わず呟いた天下に香織はすかさず補足した。
「音楽の方のね」
知ってる。英語の渡辺民子は4月に異動した。そんなことはどうでもいい。
「なんで渡辺?」
「音楽の専門だからじゃないの? 放課後に桜井先生と三人で話してるのを見たって、後輩の子が言ってた」
「お、あった」
そこでようやく亮太がノートを探し当てた。
「助かった。サンキュ」
天下は差し出されたノートを機械的に受け取った。
点と点が、繋がった。
放課後に三人で相談。直樹の希望に対して声楽の専門家、すなわち声楽専攻の音楽科教師の意見を参考にしたと考えれば自然なことだ。しかし果たして、涼が「まあとりあえずお試しで……」なんて当たり障りのない言葉で誤魔化したりするだろうか。ましてや生徒の進路に関することだというのに。
「鬼島君?」
香織が訝しげに呼んだその折に、担任教師が教室にやってきた。慌てて生徒達は着席。遅ればせながら始まるSHR。告げられる今朝の連絡事項は天下の頭を素通りした。




