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    (練習開始)強要はいけません

 中間試験明けに一年生が退部するのは弓道部に限らず珍しいことではなかった。誰でも部活三昧の日々から一時離れてしまうとふと、それまでの勢いが止まり、冷静になる。これからの高校生活の放課後をずっとこの部活に費やしていいのかを考えて面倒になったり、あるいは他のものを見つけたりして辞めていく。よくあることだった。

「上原?」

 天下は靴紐を結ぶ手を止めて訊ね返した。

「一年三組の上原直樹ですよ」

 二年の後輩から聞かされた退部者の名に小生意気な顔が浮かんだ。夏の大会に向けての練習に忙しい三年からすれば新入部員なんて皆礼儀知らずなガキだ。自分たちも二年前はこんなもんだったのかと感慨にふけりつつも、面倒は全て二年生に任せている。この場合、特に関わりのない一年の顔を覚えている方が珍しかった。

「昨日で辞めたらしいです」

 と、朝練終了後に後輩から報告されても天下としては「そうか」としか言いようがなかった。

 上原直樹──平凡を絵に描いたような学生だった。中肉中背。特徴と言えば男にしてはやや長めの前髪程度。休憩中に同級生と騒ぐのが好きそうな、どこにでもいる男子学生だ。

 どうしてそんな平凡な後輩の顔と名前を覚えているのか、天下自身も不思議だった。会話なんてした記憶もないし、挨拶だって数回交わした程度だろう。

「道具はまだ買ってなかったよな?」

 弓道は高校から始める者がほとんどだ。一から揃えるとなると結構な値になる。

「今週、注文する予定です」

 なら問題はない。天下は靴紐を結び、立ち上がりついでに鞄を肩に掛けた。弓道場の戸締まりは最早天下の仕事ではなくなっていた。まだ着替えすら終わっていない一年に「HR、遅刻すんなよ」とだけ注意し、道場を後にした。二年生が慌てて続く。まだ話は終わっていなかったらしい。

「部内でなんかあったのか」

「いえ、特には……」

「練習サボってたわけでもなかったよな?」

「退部の話は俺にしてきたんです。他にやりたいことがあるって」

 幽霊部員がいるくらいだ。退部の申し出をしてきただけでもまともな部類に入る。しかも、誰にまず言うべきかもわきまえている。顧問や部長に言う前に指導役である二年生に申し出たことといい、良識のある一年だったようだ。

「わかんねえ。何が問題なんだ?」

 カーテンで締め切られた窓の前で止めそうになった足を内心慌てて早める。慣れというのは恐ろしい。何も考えてなくても中庭を──鑑賞室の前を通って戻ろうとしてしまう。

 我ながら不思議な習慣だった。一年の時とは違ってもう、会うどころか声を聞くわけでも姿が見られるわけでもないのに、相変わらず鑑賞室に注意を向けてしまうのは。中で人知れず練習しているのではないかと、思い描いてしまうのは。

「なんも問題はないんです。ただ、ウチの部辞めて違う部に入るとか──」

 二年が言葉を濁したところで、昇降口にたどり着いた。げた箱は学年毎に並んでいるため、必然的にここで別れることになる。例に漏れず天下も自分のクラスへ向かおうとした。その背に、

「あいつ、合唱部入るって言うんです」

 天下は足を止めた。合唱部。思わず振り返った。何しろ合唱部だ。

「合唱部?」

「俺も止めたんですけど、あいつ聞かなくて。弓道辞めて歌うらしいっすよ」

 軽口混じりの言葉は天下の耳を呆気なく通り過ぎた。

「ぜってーすぐ辞めますよ」

 二年の言わんとしていることはわかる。

 他校ならいざ知らず、この学校の合唱部は音楽科の専売特許のようなもの。「部」と名がついているものの、実際は音楽科選択履修科目『合唱』の延長でしかない。管弦楽部にしてもそうだ。部員はほぼ全員、選択履修科目で『合奏』を選んだ学生ばかりだ。

 つまり、上原直樹は音楽科の巣窟に単身乗り込むつもりなのだ。音楽科のぶっ飛び具合を知らない故の無謀な行動としか周囲の目には映らない。

 だが、天下にとっては違った。

 そんなわけない。たかが副顧問を勤めている部だ。関連性は全く──ないとは言い切れないが、きっとない。ただ上原直樹は歌に興味があるだけだ。副顧問がどうとかなんて二の次だ。そうに違いない。

 否定しても一度よぎった馬鹿げた考えは頭から離れなかった。

「……放っておけ」

 天下は努めて素っ気なく言った。

「すぐに後悔するさ」

 自らに言い聞かせる意味も込めて呟く。しかし根拠は全くなかった。


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