(その六)つまり、思い描けないことは叶えられないのです
どれだけ気分が最低でも月曜の朝は平等にやってくる。涼はいつも通り五時に起床し、身支度を整えて学校へ向かった。音楽室は既に朝の練習に励む音楽科の生徒達が占領。涼は教師の特権を最大限に活用して鑑賞室を貸し切りにした。
ピアノの練習も兼ねて、今日の三、四限で教える予定の歌の予行を少々。音楽科ならいざ知らず、普通科の生徒に教えるためにわざわざ練習までしているのは、涼くらいのものだった。
普通科にとっての音楽は、生活に彩りを添える教養程度に過ぎない。適当に、肩の力を抜いてやればいい、と新任の際に音楽科主任に言われたことが脳裏をよぎった。なるほど音楽科にしてみれば普通科の授業など「お遊び」に過ぎないのだろう。一つの見解ではあると涼も思う。
練習を終えたら朝の職員会議に出席。部活勧誘期間の終了等の連絡事項が少々。中間試験とその後に行う三年生の三者面談。六月の中旬に行う球技大会。関係あるものからそうでないものまで議題は多かった。
「あの……渡辺先生」
ようやく解放されて音楽科準備室に戻ろうとしたところで涼は呼び止められた。
「先生のご専門は声楽ですよね?」
と、確認するのは体育教師の桜井美幸だった。今年は一年のクラスを受け持っていると記憶している。歳は涼より少し上だが、まだ若手と呼べる部類には入るだろう。女子バスケット部の顧問だけはあって、すらりと背は高く、引き締まった身体つきをしていた。
「ええ、声楽のソプラノですが。それが何か?」
「ちょっとご相談がありまして……」
美幸は人目を憚るように言葉を濁した。職員室では言いにくい話。まさかこの人まで生徒と恋愛してんじゃないだろうな、と涼はとんでもなく失礼な事を一瞬想像した。
「今日の二限なら担当授業はありませんが」
「じゃあ、すみませんが体育準備室まで来てくださいます?」
おざなりに「すみません」と付け足してはいるが、美幸の口ぶりは相談に乗る側の涼が棟の違う体育館まで足を運ぶのが当然と言わんばかりだった。些細なことではあるが、それだけでも涼のやる気は削がれていた。
「わかりました。では、また後で」
自分のことですら面倒を見切れないのに、なにゆえ他人の相談にまで乗らなければならないのか。どいつもこいつも他力本願だ。
音楽科準備室に戻る間に、面倒事のない平穏無事な教師生活を思い描こうとして――やはりできなかった。夢想することさえ、涼にはできなかった。




